《事実の羅列と話の広がり》
《例1》記念日に君は帰って来れなくてロウソクに火を灯せずにいる
とてもありがちな、短歌投稿サイトを巡れば必ずと言っていいほど投稿されているこのタイプ、非常に多くの方が日記代わりにこういった詠み方をされています。これはまさしく(事実の単なる羅列)であって短歌ではありません。読んで脳内で再生したり再構築する景色ではなく、日記内のつぶやきと大差ないものです。ただ文字数を収めているだけの短歌もどきとなっています。
歌の世界を拡げようにも、拡げる糸口がありません。ギリギリ読み解けば、約束の記念日に少し退社が遅くなって時間通りに帰ってこられない相手を、今か今かとケーキにロウソクを立てたまま待っている。という所でしょうか、ここからは大きく物語が広がることは難しいと思われます。
《改作例》ロウソクを立てずに待てば浮かび来る 君との時間 君との未来
少し飛躍し過ぎているかもしれませんが、落差がないと改作の意図が伝わり辛いので、あえて少しオーバーな味付けにしてみました。
ロウソクを立てるという状況は、ケーキに立てる、お仏壇や神事で立てる、燭台に立てる、停電で立てる、といったことぐらいですが、後半に君が出てきて二人称と認識できますから、(ケーキに立てる)の一択となります。しかし作歌主体は立てずに待っている。早く帰ってこないかなぁという心情は《例1》の歌と同じものですが、(浮かび来る)にて、少し考えを巡らせている短い時間を挿入しています。更にその短い時間の挿入に思考を誘導するために、二句三句で動詞(立てる)(待つ)(浮かぶ)(来る)を4連発にして、これでもかという感じでダメ押しし、(浮かび来る)の後に小休止が生まれるようにしています。ここで読者と作者の脳内時間がぴったりと一致することで、これまでの(君との時間)とこれからの(君との未来)に思考を誘い、ゆっくりとした感慨に触れさせるように終わらせているのです。
(事実の単なる羅列)の残念な所は、出来事や固有名詞に引きずられて、想像する楽しみが奪われてしまう所だと思っています。
・記念日以外にケーキにロウソクを立てることの方が珍しいのだから記念日は必要ない。
・原因(帰って来れない)と結果(火が灯せない)をどちらも明らかにしてしまうと、
もうそれ以外の要素を導くことは難しくなる。
・読者にその先を考えさせる仕掛けを作る、それによって復唱させて歌をなぞらせる。
※韻を踏むことやリフレインなどで演出します。
・少々の破調や区切れなどは二の次で、二人称が決まればその関係性をきちんと考えて作歌する。
極端な例かもしれませんが、差を感じて頂く上でこの4つの点を中心に《例1》から《改作》を作ってみました。作歌と改作のプロセスは、日常的に私が行っていることと全く同じです。短歌サイトやツイッターなどの短歌を覗いても、《例1》のような歌ばかりだと、読むだけでも疲れますし、もう二度と遡って読もうとは思いません。どんなに作歌主体のその日の気持ちが込められていても、心動かされる要素が1mmもないからです。見慣れたこと、経験し慣れたことに驚きや発見を見いだすことは極めて困難です。流行言葉や既成事実から離れて、何に対して思慮の気持ちが芽生えるのか、注意しながら作歌していきたいと思っています。
2019年11月4日
短歌 ミルク