皮肉なことに、「店は閉店の日に最もお客様が来る」という話を聞きました。
何かの栓が抜けてしまったかのように、人は流されることの多い生き物です。最後の日と言えば、「会社は辞める日が一番楽しい」というのが私の持論ですが、賑わう商店街の中の一店ともなれば、そうのんきな事を言ってはいられないでしょう。
高度経済成長の中で、万人に利することの象徴のようにアーケードが造られ、人々は雨の憂鬱から解放されて大いに明るくなったものです。ウィンドウショッピングという、買わないでも楽しいという次元にまで増した幸福感も、バブル崩壊と失われた30年ですっかり勢いを無くしてしまいました。お店自体の経営ももちろん大事なことですが、それ以上に地域の賑わいや人が集まることの意義を、商店街は体言したかったのではないかと、強く認識させられます。人が集まれば摩擦が生じ、静電気のようにビリビリした感覚に晒されることもありますし、余計な柵にもお付き合いをしなければならないでしょう。そんな自分の目の前、自分の周りだけの快適を望めば、アーケードの屋根は必要なかったと思います。目前の利益を超えてその先で、本当に共有すべきものは何なのかを考えなければ、アーケードのある未来は見えてこなかったのではないでしょうか。
短歌も眼前で自分を揺さぶる出来事に慌てて反応してしまうような、にわかインスタグラマーのような作歌になってはいけないと思います。歌を作る一人一人がいくら個人商店であったとしても、短歌という商店街に付けられる屋根のように、今傘を持たない人のための小さな軒先であって欲しいと願っています。ウィンドウショッピングでもいい、そこに人が集って賑やかになって欲しいのです。せっかく賑やかになりつつある短歌サイトがシャッター通りになってしまわないように。
● 閉店の紙は僅かにめくられて風通しだけはいい街になる
傘を持たない人はいなくなったのか?アーケードの屋根からは曇った顔の太陽が見える。
2019年11月5日
短歌 ミルク