《視点移動で見えるもの》
私は作歌の際に自分というマネキンを自分の1mくらい後ろに立たせて考えています。一般的にはまずはリアルな自分の目線で作ることが普通でしょうから、対象との距離は実際に自分の目で見えている距離ということから作り始めるでしょう。
人の視点ならではのリアリティも大切ですが、歌のテーマによっては柔軟な視線や視点の移動を促すことも重要で、それによって浅い読みに留まる読者にも、より深く読み込んでくれる読者にも、どちらにも基本的なテーマを伝えることができると思います。
サンプルとして私の歌を例にあげてお話します。
・格差とは測れぬものだ天秤のおもりは互いを見つけられずに
私の作り方は先だってもお話したように、1・起きたこと、2・心が動いたこと、3・変わらないこと、の三つを柱に考えて構成していますので、区切って説明したいと思います。
1・起きたこと
格差社会というニュースをよく耳にする。富や権力が僅かな人々に集中し、歪な格差を生んでいる。しかしいつまで経っても貧しい人は貧しいままで、お金持ちは更にお金持ちになるという連鎖は修正されない。もうお互いがそれぞれどんな生活をしているのかなんて、全く想像もつかないといった状況だろう。
2・心が動いたこと
正確に重さをはかり、バランスをとることに恩恵をもたらすはずの天秤が測れないものがある。人の心の欲望や虚栄心、差別する本能は目に見えず、天秤に乗せられないものだ。
測る機械なのに測れない、釣り合うことのために乗せているおもりは偏って、もうお互いの姿が見えないほどの距離に離れてしまったことで、格差そのものに気づかないまま見過ごしてしまっている。力や富は極端な傾きではない、互いの姿が見える程度の差でなければ認識すらままならないことを痛感する。
3・変わらないこと
天秤は元々釣り合うことを目的に作られていて、釣り合っている姿(絵など)が象徴的に描かれているものだ。格差が生じているものはすべて、本来は釣り合っていなければならないもののような気がするし、安定している状態を目指すのが人の役割なのではないだろうか。
1では実際の生活者であり作者の等身大の視点から現象を捉えています。
2ではその状況を説明するモチーフとして天秤が表れます。理科の実験などで天秤に分銅をピンセットで載せた光景、重い分銅と軽い分銅をそれぞれお皿に載せた時の動きなどが思い起こされます。人の高さの目線ですが時間軸を移動して、まず天秤ってどんなものだったかなぁと、その形や動きを思い出してもらい、そのうえで、視点を分銅に移します。それぞれの分銅に格差の対極を投影して、片方の分銅からもう片方の分銅は見えないという状況を想像して頂きます。分銅の目線に立ってみれば、お互いのことは見えないほど天秤が傾いていて、大きな差のなかに自分達がいることをイメージできると思います。
3あらためて分銅の目線から天秤を眺める人の目線に戻ったとき、傾いたままの天秤には違和感があることを感じます。一般的に知られている天秤のイメージはほとんどが釣り合っているイメージだからです。違和感(格差)を取り払うには、一人一人が神様になったつもりで天秤を眺め、どうすれば釣り合って安定している姿になるのかを考えていかなければならないという、大きな視点を想定していますが、ここに至るには相応の想像力が読者に必要です。敢えてふるいに掛けることで読者を選別しています。
先に書かせて頂いたように視点移動は想像力の成せる技術なので、2の段階でも付いて来られない読者が出てきます。さらに3の段階でも同じ事が起こりますから、見えている人と見えていない人の間には大きな隔たりがあることを短歌は教えてくれています。
読者が勝手に視点を移動するのではなく、誘導されて想像するというのが望ましいことなのかなと考えながら、作歌に取り組んでいます。
2019年10月18日
短歌 ミルク