思わせぶりなタイトルですが、歌におけるストーリー性や展開方法のことではありません。そもそも僅か31文字しかない内容に無理やり起承転結を押し込む必要はありません。
本当に読む人が育っていなくて、絶望的に軽い表面上の短歌しか詠われない、評されないという状況の中で、自分なりにどう短歌の持つ世界観を表現すればよいのか、相当に長い時間を費やしました。いろいろなサイトを見ていく中で、前にも挙げた「うたのわ」というサイトの投稿形式に少し将来性を感じるものがありました。
・短い詞書き
・短歌(ふりがな有り)
・簡単なメッセージボード
「うたのわ」では、この3点で一首が形作られていました。入力を割愛されておられる参加者が多く残念でしたが、歌意を汲んで歌の世界を味わうためには、とても有効に機能していたように思います。
しかしそれでも何かが物足りないし、説明しきれていないような、なんとも不思議なものが胸に引っかかっているままでした。
そもそも短歌には章ごとや連歌ごとにタイトルのようなものはありますが、一首についてタイトルが付くようなことはありません。
詩ならば短くても必ずタイトルがつくことを考えると、詞書きのようなタイトルを付けることについては問題ないなと思いました。また解説を加えることも、私の作歌ポリシーでもある「歌で事象の断面を切ったのは自分」ということを明確に示すことに繋がりますし、読者の勝手な曲解によらない自身の歌に込めた考えを明らかにするために、割愛する理由はないと考えました。
それだけで、果たして十分なのだろうか、言葉の効果、歌の示す景色が読者に伝わるだろうかと自問自答を繰り返しました。その結果、最後にダメ押しで一言を付け加えることになりました。このことは、我ながら素晴らしいアイディアだったと今も思える大きな閃きです。これによって、僅か31文字の一遍の短歌に、短編小説のような物語性が生まれることとなりました。
・起(タイトル)
・承(作歌意図、解説)
・転(歌)
・結(最後の一言)
頭の悪い私でも、悩み続けていれば何とかなるものです。
そう考えて組み立て始めると、4つの全てがそれぞれに影響し合い、歌に至る世界、歌の世界、歌が導く世界をぐっと拡げてくれることに気がつきました。
もちろん、歌だけでそれが出来ていれば、こんな方法はとらなくていいのかもしれません。
そういう意味では邪道なスタイルだと思います。
しかし「歌は正しく伝わらなくては意味がない」という私のスタンスを変える気は全くありません。この点が小説や詩や俳句と決定的に異なる短歌の短歌たる可能性だと信じて疑いません。趣や風情がない、押しつけだと言われたとしても、この形式を私のスタイルとして堂々と発表していこうと決めて、ブログを始めた次第です。
・呼び起こす過ぎし情景いたずらなリアルに紛れさせないために
散らかった事象を入るべき心の箱に仕舞い込む、それは言葉が担う役割。
2019年10月27日
短歌 ミルク