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短歌のリズムで

言の葉が群れをなすかな鰯雲 暮れゆく空で歌になるらむ

見えない距離感

幼い頃の病の後遺症で嗅覚と聴覚に障がいを持つある芸術家の言葉がとても胸に残りました。あるべき感覚がないということだけで、他の人や世の中というものにどうしようもない距離感を感じるというのです。その言葉を聞いてあらためて目を閉じ、耳を塞ぎ、鼻をつまみ、拳を握ったままにしてみると、本来感じられるべき空気感や雰囲気を全く認識できないことに気付きました。自分という生き物を成立させるための空間がどの程度の大きさなのか、どのくらいの大きさや強さで動いたり発信すれば相手に届くのか、そんな大事なことがまるでわからないようになるのです。たとえお互いの外見に何も特別違いが見受けられなかったとしても、心の中ではこういった見えない障壁が様々な事を遮っているのだと、目が覚める思いがしました。未だ蔓延るたくさんの差別や偏見も、このような見えづらい障壁が元になっていると感じます。

人の脳は便利に出来ていますが、唯一欠点とも言うべき機能も持ち合わせています。
それは(欠落した情報を自分に都合のよいものへと勝手に補完してしまう)ということです。生き抜く為の生存本能だと言われればそれまでなのですが、そんな本能だけでは共に生きていくことができない時代であることは、誰もが感じていることでしょう。

そんなつもりが無かったことを誤って受け取られたり、気持ち悪いほど過度に慇懃無礼だったり、原因がわからず怒っている場面なんてほぼ日常的に見られます。この誤解という一言で片付けられていることの原因の一端は、脳の勝手な補完によるものだと思っています。
情報が身の回りにあるはずなのに、キャッチできていないことに気付けないまま、足りないと判断してしまうことがとても多いことや、そもそも伝わりにくい手段でコミュニケーションを取ろうとしてしまっていることが、心と心の関係構築を妨げているのだと思います。
見れば裏表が判断できそうな生地も、実際触れなければわからない感触があります。さらにどちらに重きを置くかで、表と裏は柔らかさや手触り、耐久性も異なります。表面的に及ぼされた情報だけでは、本当に限られたことしか想定できないということを知っていなければ、すぐに誤解という結果を引き出してしまいかねません。

指のはらで触れば簡単にわかることも、指の背で触った場合はどうでしょうか?
全神経を集中しても、なかなか伝わるものを見極めることが難しくなります。
しかし、人と人との間にはこんな慎重さがあってもよいのではないかと思います。

感覚が失われていなかったとしても、慎重に波を受け止めなければ跳ね返りはわからないままだと思います。相手にぶつかって跳ね返ったことがわからなければ、自分は一人だということになり、簡単に孤立してしまいます。実態でぶつかっていても内面で孤立していることの原因も、こういったことによるものだと思えば納得ができます。

足りないということに気付くこともそうですが、足りないままで自分勝手に想像して補完してしまってはいないのか、相手に届いてもいない波の跳ね返りを、届いたと偽ってはいないだろうか、そして自分に都合良く解釈してはいないだろうか、心に問いかけることばかりです。

言葉は、そして短歌のような短文詩が、はたして見えない距離を縮められるのか、そんな課題が突きつけられたようなテーマだと思いました。

跳ね返る僅かな気配風を止め心を澄まし指の背で受く

触れるか触れないか、そんな関わりだからこそ注意深くアプローチしなければならない。

2019年11月20日
短歌 ミルク
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HN:
ミルク
性別:
非公開
趣味:
頭の体操
自己紹介:
気づく人だけが手に入れられる
輝きを求めて、日々の宝探しを
楽しむように短歌のリズムで進む
足あとのようなものです。

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