前に雑記でも述べたのですが、自分自身の作歌の過程を綴ってみることで私自身も多くのことに気付くことができています。今までは書いては消し、書いては消しとワープロの画面上でやっていたのですが、その過程すら書きだしてみたらどうなのだろうと思いはじめました。ある歌題から歌を作るプロセスを辿ってゆくと、どういう具合になるのだろうという自習ドリルのようなものですが、恥ずかしいことは覚悟の上で試しに書いてみたいと思います。
たまたま見た(うたの日・11月24日)というサイトにありましたので、最初の歌題は(刹那)ということにしたいと思います。
ぼーっと感じる意味は、とても短い時間や瞬間ということと、一時の享楽などに溺れてしまう(刹那的な)という生き方などです。いつも瞬発的にフレーズを思いつくのですが、今回は、
「気付くのはいつも後から」というフレーズを思いつきました。
大切な一瞬でありながら、それに気付くのはいつも過ぎ去った後であるという、自己の経験や見聞きしたことからの気付きです。少し考えたり思い出したりすれば、結構たくさん出てくるのではとも思いましたが、よくよく考えてみると結構難題です。(困)
少し(5分くらい)考えて、何かを持っていて落としそうな時に手を差し伸べる瞬間にたどり着きました。多分、刹那と呼んでもいいくらいの時間です。(落としそうな景色)うーんこれも良さそうですが、(落としそうな)も対象が大きすぎて曖昧ですし、(景色)も漠然とし過ぎていて何か消化不良です。
気付きから考察できることは、事の起こった後でしみじみと刹那に気付いたということです。そうなると、同じ二人称でも相手ではなくて、自分が感じたこととして捉えるべき内容です。
自分が経験し感じた事で、
・大切な一瞬を思い出して感慨にふけったこと
・落としそうな時に手を差し伸べる瞬間のような短い記憶
この二つが大きな歌の骨格として浮かび上がってきました。
「気付くのはいつも後から」は、当初閃いた気付きで、最も詠いたい内容ですが、もう直接この言葉を使う必要はないと思いました。
他の言葉を使ってそういったシチュエーションを想起させればよいのです。
元々も簡単な言葉なので、ベタベタですが、「ハッと手を添える」を考えました。
物を落とすことにも、体を支えることにも使える、わかりやすく便利な言葉です。
刹那は「瞬間」にも置き換えられる言葉です。
「ハッと手を添える瞬間(刹那)」という歌の一部ができました。
これにどのような形で後に気付くという内容を肉付けしてゆくかということになりますが、例えばわかりやすく男女が別れてしまった体で回顧回想するのが最も考え易いかと思います。
その瞬間をどう想う(感じる)のか → 愛おしく感じる
後から気付く → もうその関係性は失われてしまっている
ここでは素直に相手が今はもういないということだけを言葉にしようと考えました。
・ハッと手を添える刹那
・愛おしい
・相手が今はもういない
・ハッと手を添える刹那を愛おしむ相手が今はもういない夜 or(部屋)
言葉と字数を整えてみましたが、夜という言葉に引きずられて、気付いたということが薄まってしまいました。別案で夜の所を部屋にもしてみましたが、気付きが薄まらない代わりに、シチュエーションが限定されてしまい広がりが無くなりました。どちらも今ひとつです。
もっと素直になって、知ったことをそのまま述べてみようと思いました。
ここまできたらあれこれ考えることは不粋かもしれません。・・・・・・少し悩みましたが、「無いことを知る」でいこうと思いました。ちょっと説明口調なのが引っかかりますが、(愛おしむ相手)をぼかして、少し幅を持たせることも一つの方法だと思いました。
そんなこんなで、一旦は完成ということにいたします。
※ここまで、約2時間程度かかりました。こんなことでは歌会になどなかなか参加できませんね。
・ハッと手を添える刹那を愛おしむ相手が今は無いことを知る
見も知らぬ人に出す手が受け取った「ありがとう」は少し塩っぱい。
2019年11月24日
短歌 ミルク