歌には少なからず自分が反映されて、誰にも伝えていないことや伝えられなかったこと、伝えてはいけなかったことまで、染み出してしまうこともあります。それでも自分だけで書いて楽しむ他に、投稿したり、こうやってブログに残したりすることの心根は、数少ないであろう自分の周波数を受信してくれる相手を探す行為に違いありません。誰かを陥れようとしてではなく、同じようなことに気づいて歌を作る人を探すために仕掛けているようなものです。たくさんの人に真偽の程も解らない「いいね」をもらうより、たった一人からでも嘘のない言葉を頂ける方が、歌には真面目に取り組めるような気がするからです。修行のような道程ばかりでは辛いから、自分しか気付けないような目印を付けて歩くのですが、それはつまるところ、もし誰にも気付かれなくても、自分は歩いてきたのだと納得したいだけなのかもしれません。それは果たして人なのか、歌そのものなのか、概念なのか、理なのか、ただの見果てぬ夢かもしれませんが。
舞い上る砂にも託すたずね人 歌の心に出会えるまでは
生きているうちに、その境地には辿りつけないかもしれませんが。
2019年7月31日
短歌 ミルク