新年あけましておめでとうございます。
今年も少しずつ成長をしてゆけるように、考えることを止めずに続けたいと思います。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
ファミリーゲームの中に、樽に剣を突き刺すゲームがあります。中の人がびゅーんと飛び出してしまう奴です。あたりまえのことですが、何処に剣を指せば飛び出るのかが解っていれば、ゲームとしては成立しません。
結構感覚が集中していると思われる指先にも、何かが刺さってもあまり痛みを感じない所があります。もちろん圧倒的に痛いと感じる場所の方が多いのですから、そんな場所は珍しいと言えるでしょう。いずれにしても私たちには鍼灸のツボのように、それを見分ける能力は備わっていません。
これは体に限ったことではありません。
そもそも眼に見えない心にも、痛い場所とあまり痛くない場所があるような気がします。
もちろんこれらも見分けることなどできません。
言葉や会話には一定のルールめいたものやマナーが存在しています。コミュニケーションの道具なのですから、使うための決まりがあることは当然です。格闘技などのスポーツにおいてルールが守られないことがあればそれはただの喧嘩や殺し合いになって、傷つけずに済むものを傷つけてしまうかもしれません。「言葉の暴力」という例えがあるように、書いた文字や文章、かけた言葉や会話の中にも、伝わる相手のことを全く考えていないものは、時に痛点を直撃し激しい痛みを及ぼします。
言葉や文章は短ければ短いほど、その真意が伝わりづらいものですし、極めてデリケートなものです。
俳句や短歌においては、手軽さから抜けられずに四方八方に毒を撒き散らすような投稿者も多く見受けられますが、誰のどんな所に痛点があるのか解りませんから、むやみやたらに言葉を投げてしまうことは避けなければなりません。
皮肉を込めて歌や句に詠み込むことと、自分の鬱憤をただ型に納めて詠むということは根本的に違います。
冒頭でお話しした樽に剣を突き刺すゲームも、元は樽の中で縛られた仲間の海賊を助け出すゲームでした。縛られたロープを切るために剣を突き刺すという設定です。けれど、現在の世間一般の認識は異なります。剣を刺したことで仲間が飛び出した方が負けというルールになっているようなのです。ゲーム中の動作が当初の(仲間を助ける)思惑とは正反対に、(仲間を傷つけてしまう)というような光景に映ったのかもしれません。たかがゲームの話と思われるかもしれませんが、まるで正悪が逆転したかのような印象の伝わり方と後への影響に、私は強い衝撃をうけました。
そのものをよく見たり、説明書やルールを正しく読んでゲームに臨めば、もしかすると当初の(仲間を助ける)というルールのままで、何の不都合も起きなかったかもしれません。
しかし実際には、仲間がロープで縛られている設定やそのロープを剣で切って仲間を助けるという趣旨を理解しないままゲームを始めてしまう人が多かったのではないでしょうか。
ついには設定そのものを変えてしまわなければならなくなりました。
昨今のSNSなどに同じ事が言えないでしょうか。リテラシーやコンセンサスが欠けたまま使ってしまうと、間違った使い方、使われ方をしてしまうのではないかと心配になってしまうのです。
新年早々、また説教口調になってしまう投稿になりましたが、気を引き締める意味も込めて、短歌を作る際にもただ歌の出来映えや音調を確認する為に暗唱、復唱するのではなく、言葉の行き着く先にどのような影響があるか、そんなことも踏まえて確認していきたいと思う年明けでした。
● 痛点は目には見えない誰にでも言葉の棘を向けてはならぬ
どんなに親しい間柄でも痛点はわからない。○○○危機一発は助けるゲーム。
2020年1月2日
短歌 ミルク