AIによる大物歌手の作成や歌唱、CD発売に対して様々な反応がなされています。
そもそもこんな馬鹿げたことを故人の遺志もなにもかも無視して、第三者が勝手に実行してしまうことも大きな問題ですが、それにしても再三このブログ内でも申し上げているように、昨今の世の中の感動沸点の低さには閉口してしまいます。
一般的な歌唱力のアイドルならともかく、日本を、昭和を代表するような不世出の歌手の歌唱を機械が真似できるはずもありません。彼女は楽譜をまともに読まずに歌唱できるほど、特出した聴覚の持ち主です。それは多分、目が不自由な方の聴覚が極めて正確で鋭く聞き分けられることと同様に、研ぎ澄まされ、訓練された、常人を遙かに超えた超感覚です。
プログラムしか考えない開発者では到底至ることのできない領域です。いくらデータをサンプリングして数値化しても、数値に表すことのできない領域をプロの歌手や作曲家は聞き分けて音楽を構成しているのです。
そんな聴覚を持った人なら、数秒聴けば「これは到底本人の歌唱ではない」と断罪することでしょう。
「本物」はなぜ本物たりえるのでしょうか。
それは正確さよりも人間らしさに重きをおいているからだと思います。
「一生懸命歌いたい」「聴いた人が少しでも楽しくなるように」という心のありようが、情熱となって放たれているからでしょう。パッションが感じられないことが、あのAI歌手の致命的な部分の一つになっています。
作り手の情熱だけが前に出て観客は置き去りになってしまったこと、当然クリアされるべき歌唱レベルがあまりに低すぎること、不気味の谷のど真ん中に入って気持ち悪さしか残らないCGだったことなどが、おおよその評価しない人達の意見だと思います。
さらにとってつけたような台詞が演出されたことで、不快さは際立ちます。
ただご家族に向けてのメッセージならまだしも、不特定多数に届けられる可能性のあるものとして、全く故人と繋がりのない第三者が言葉を作って話させてしまうというのは、あってはならないことだと思っています。
このプロジェクトと同じ事がもしも宗教の教祖や創始者に対して行われたら、世界は戦争になるかもしれません。そんな恐ろしい事になる可能性を排除できなかった制作者達は本当に愚かです。
また声には声色という色があります。
色というくらいですから、多くのパターンがあるのでしょう。しかしそれは数字で○○種類のパターンという具合に型にはめることのできないものです。そんなことを開発者や制作者は考えたのでしょうか。考えてあの結果なら相当に陳腐な技術です。
手紙や写真やビデオ映像や、まだまだ振り返ることの出来る素材もたくさんあるはずなのに、そして一番は自分の胸の中で生き続けているその人の鮮烈なイメージがあるはずなのに、ただ足りていないものを補うような技術の使い方を挿して多くの人は「冒涜」と言っているのだと思います。
カード会社のコマーシャルではありませんが、プライスレスだから価値があるものなのに、強引に価値付けをしてしまおうとする人の欲深さ、愚かさ、稚拙さなどが浮き彫りにされた出来事だったのではないでしょうか。
● 歌姫の小さなこぶし手のひらを数多飛び立つ歌のたましい
迷ったとき、悩んだとき「人生一路」にいつも励まされ、元気を頂いています。一度決めたら二度とは変えないことの意味を、彼女は投げかけているのです。
2020年3月21日
短歌 ミルク