短歌や俳句は、なかなか自分以外の正直な評価を得にくいものです。○○大会と名のつくものに応募したとしても、運良く入選でもしなければ選者の評も得ることができません。
投稿サイトにおいても、基本的には「いいね」に準じたクリックやタップをするだけで、
マイナスの方向には何一つベクトルが向きませんし、もはや「いいね」の数に何の意味もないこと、それはラジオ体操の参加印と変わらないことは全員が承知していることでしょう。
短歌のような答えの曖昧なものでは、単に誹謗中傷合戦になることだけが低評価を行わない理由ではないと思います。
なかなか作者の歌意に近づけない、近づくことをしない、そんな読み方、読者しかいないことが最大の問題なのではないでしょうか。
誰かが下さなければならない判断を誰もしたがらないし、やりません。軋轢や反発を怖がって、みんなでワイワイ楽しく・・・・という感じでしょう。それを望んでいる人も多くいると思います。果たして、本当にワイワイ楽しくできているのでしょうか。
読みたくもない、読まない短歌に「いいね」を延々押し続けて、あるいは押され続けて、楽しさは一体何処にあるのでしょうか。
カウントされる数字なのでしょうか。イイネの数や何百首という数が楽しいのでしょうか。
もはや短歌ではなくてもよいことばかりです。
結局、匿名で気軽、手軽という理由で手段としての短歌が選ばれているに過ぎません。
投稿やコメントでもお話しましたが、人が選別を行わなければ何が選別を行うのか、いつまで経っても短歌をふるいに掛けないままの状態が続けば、必ずプログラムが選別を開始します。
冷酷で非情な選別です。短歌もどき、歌人もどきが吹き飛ばされてしまう程の衝撃となるでしょう。
プラスばかりの評価や判定に、未来など1mmもありません。
誰かがマイナスを付けないのならば、自分がマイナスをつける。そんな覚悟が短歌を作る人には求められています。甘んじているだけでは、きっと本当の楽しみも得られないでしょう。
みんなが上達すれば、唸る歌でサイトを埋め尽くすことも可能だと思います。それこそ、プロの歌人が驚くほどの歌集に匹敵するでしょう。残念ながら誰も望んではいないようですが・・・。
● ネジ山は潰れて錆びて回せないマイナスのネジの役割を知る
プラスの数字の根拠はいつも怪しいが、マイナスの数字の根拠はいつも正しい。
2020年3月16日
短歌 ミルク