少し考える時間ができた歳だから、そう思うのかも知れません。永遠に胸の中に仕舞い込んだ想い人に逢いたいと目を閉じる。そんな時間が増えた気がしています。お互いがあまり恵まれていない家庭環境だったこともあり、不用意に相手の懐に飛び込むことを恐れてばかりいました。もう僅かでも傷ついて欲しくないという想い、そしてあまりにも濃い優しさが二人を自然に遠ざけてゆきました。一人でも生きられる強さを持ち合わせていたことも、二人にとっては不運なことでした。
すっかりお互いの事を忘れてしまったかのように数十年が過ぎ、もう恋など、何処かに置き忘れた傘のように気にならなくなっていました。誰かの傘に入ったり、誰かの傘になっている今、ただ生きていく為には必要のない感情なのかもしれません。写真嫌いの君の写真は一枚もなく長文の手紙があるだけですが、多分現在とは違うであろうとても強い筆跡の文字を追えば、時が戻せたならばという思考の迷路で立ち尽くしている自分がいます。
歩んで来た人生には、成功も失敗もないと思います。誰かのせいにしなければいい。それだけで立派な人生です。満足を得られない、感じられないとしても、もしお金で買えるような満足ならば大したことはないのでしょう。
ひょっとしたら死ぬまで逢わないかもしれない相手は、未だ17歳のままで私の中に住み続けていて、その瑞々しさが枯れることは決してありません。これは夢だったのかもしれないとすら感じる時があります。切ない気持ちが満ちたとき、なぜか涙よりも「君に笑っていてほしい」という気持ちが溢れてきます。もう、切なさを超えてその先にある価値を見つけてしまったような気がしています。
切なさは、「切れる」ことが「ない」気持ち、そう思うようにしています。
まるで量子テレポーテーションのように、お互いが同じように切なさの向こう側を見ているのだと思います。そう考えて深く感じれば、とても深いところで二人は繋がっていて、薄っぺらな感情や、時間に惑わされずに、お互いを想い合っている気がしています。
気がしているだけかもしれませんが、私はこの想いだけで十分幸せを感じています。
こうして短歌に出会わなければ、この想いに気付くこともなかったかもしれません。
短歌は切なさの向こう側にある大切なものを教えてくれて、自分自身の気持ちをどう昇華すればよいのか、大きなヒントをくれたと同時に、大切な宝物のありかは自分で見つけろと言いたかったのかもしれません。この出会いも大切にしていきたいと今更ながら思う秋の夜です。
・手折らずにいた花だから今もなお美しく咲くわが胸の中
平たい君の文字からは、でこぼこの気持ちが伝わってくる。だから心は揺さぶられている。
2019年11月6日
短歌 ミルク