いよいよ暮れも押し迫って参りました。普通の人なら(ポインセチア)や(柊)、(クリスマス)という歌題だと思いますが、天邪鬼なもので(餅)でいきたいと思います。
餅や餅米でイメージするものは、餅つき、餅まき(餅投げ)、桜餅、柏餅、杵や臼、尻餅、煎餅、牡丹餅、赤飯やおこわなどでしょうか。
(しりもち)はちょっと魅力的なので後のお楽しみにして、食べるお餅をメインに考えてゆきたいと思います。
田舎なもので、実家では年末になると恒例行事のように餅つき(もちろん餅つき器で)が行われ、私も餅切り丸という餅をちぎってゆく道具に付きっきりとなります。餅はお鏡を何種類か分と白餅、よもぎ餅、黄粉餅、餡を入れたものなどを作るのですが、つきたてにすぐ黄粉をまぶして食べる黄粉餅が一番気に入っています。
自分としては、片栗粉や黄粉をまぶす動作に、とても奥深い何かを感じています。
なぜだか誰にも教えられてはいないのに、満遍なくまぶそうとしています。まぁ、見た目が良いとかそういうこともあるのでしょうが、綺麗にまぶすこととか、どうしたらまぶしやすいとか、無意識のうちに考えて手が動いているように感じます。とても日本人的な動作と言ってもいいかもしれません。
・まぶす
・無意識
・軟らかい餅
この辺で作れないかと思いましたので、まずは瞬発力で思いつくまま作って見ます。
A・反抗は餅に似てまだ軟らかく黄粉をまぶす親も見習い
B・白帯に身なり以上はそぐわぬと餅はまだらな黄粉を纏う
C・口当たり良い人であれ丸くあれ気は長くあれ 餅を丸める
いつものように脈絡のない作り方での三首ですが、Aはまぐれですが我ながらよくできていると思います。ちょっとキープです。
Bは私独特の説教臭がぷんぷんします。今ひとつです。Cは少し別の作り方で、わざと標語風に作ってみました。
先に(まぶす)とか(無意識)の思考があったのに何一つ含んで作っていませんでした。
AもBも少し(黄粉)に振り回されています。
なんとか粉を集めてまぶすという無意識の動作を入れていきたい所ですが、(黄粉)だけでは(餅)だと特定し辛く、どうしても(餅)あるいは、(餅)+(黄粉)を入れ込むと長くなってしまいます。
Bでは無意識の動作の描写が無いために、おおよそ人ごとというような他人感が漂っていますし、Cでは黄粉が無いために(口当たり良い)と(餅)がうまく繋がりません。
さすがに(餅)と(黄粉)は外せないので、思い切って(まぶす)をあきらめて外して考えてみます。
・無意識に黄粉をまぶす姿
・つきたての軟らかい餅
・まだらについた黄粉
・段々と固まっていく姿
これらを歌へと集約させていきたいのですが、ここに来て、この行事が年末であることを思い出しました。大げさに言えば今年一年の最後の行事ということも言えます。(一年)という言葉が使えないか?と考えます。(諸処の出来事は黄粉)と例えると(黄粉が纏わり付く)のは日々の生活(餅)であり、その集大成が今年一年であると言えます。
だんだんと固まってきました。(歌が)
(黄粉が纏わり付いた餅)(纏わり付いたのは出来事)(出来事は黄粉に例えられる)(纏わり付いた餅は一年の集大成)までは来れたのですが、肝心の(まぶす)の替わりがピンときません。
(無意識に黄粉をまぶす姿)をよくよく読み返すと、違和感を感じます。何かロボットが行っているような無機質感が漂っています。
人の作業に置き換えて考えてみます。思い返すと、散らばった黄粉を頻繁に片側に寄せてから餅を置いてまぶしています。(寄せて)はどうでしょうか。この言葉は少し人間臭い動きを感じさせてくれます。もしも(纏わり付く)を使ったのなら、(まぶす)なしでも、(寄せる)が拡げてくれた景色で意味が成り立つかもしれません。
・無意識に黄粉を寄せる + 一年は纏わり付く + 餅 + (気づき)が理想的です。
もう一度黄粉を寄せる作業を振り返ります。反射神経のような無意識に似てはいますが、そうではなさそうです。無意識というより無心に近いかもしれません。
(無心)ではどうでしょうか。
・無心に黄粉を寄せる + 一年は纏わり付く + 餅 + (気づき)
完成が見えてきました。
(軟らかい餅)の出番です。一年を集大成するようにした餅つきは、実は次の年へのスタートでもあります。今年一年に起こった出来事の良い悪いを無心で振り返って集めた黄粉を纏った餅はまだ軟らかく、産まれたばかりの新しい年に近いものだと隠喩のような感じではどうでしょう。(無理やりか?)
おぼろげですが読者に問いを投げかけるべく、最後は(まだ軟し)でまぶした一年と次の一年という対比を演出できればと思います。またこの歌でも(黄粉を寄せる)(寄せる一年)(一年が纏わり付く)が重なることで、読み返して見たくなる仕掛けとなっています。
・ 無心にて黄粉を寄せる一年が纏わりついて餅まだ軟し
自分で丸めた餅の形は少し歪だけれど、由としよう。甘いジャッジも時には必要だ。
◆おまけ (しりもちの歌)
・ しりもちをついたら見えた真昼間の月も誰かの合いの手を待つ
2019年12月17日
短歌 ミルク