悲しい話ですが、人というものは簡単には変われない弱い生き物であると思います。
アルコール依存症となり、その後奇跡的に依存症状から生還した父の人生を見ていると、つくづくそう思います。
先日もドキュメント番組で、依存症患者を取り扱ったものがありましたが、真の依存の怖さを知らない医療者や、断酒会などというお仲間会で傷を舐め合う患者のあまりの多さに閉口してしまいます。
皆さん大きな勘違いをしておられますが、酒という物は薬物と同じです。
一旦依存症になれば、完治はしません。
もう自分が決死の覚悟で悟るしかありません。「飲めば死ぬ」そういう本気の覚悟です。
父は奇跡的にその覚悟をすることが出来ました。
今まで長年家族を苦しめた、獣が憑依したような、「おまえを殺してしまうぞ」という狂気の目と表情が、他の入院患者から自分に対して日々向けられたからです。ついに生き物として、人としての純粋な恐怖心に覆われて、自分から「恐ろしいからここから出してくれ」と私たちに告げたのです。
それは単純で安易な、その場しのぎの妥協の産物などではありません。
真に心が何かを悟った時の言葉に聞こえました。
父は十代から飲酒と喫煙を続け、母との結婚直後よりアルコールに負けて暴言と暴力を繰り返し、それは約半世紀近く続きました。仕事から帰って夜中寝るまで飲酒を続け、悪態と暴力で家庭をめちゃくちゃにする日常は、ほぼ365日毎日、毎年、何十年も続きました。仕事中にも隠れて酒を飲んでおり、辞めざるを得なくなりました。病院に強制入院させる直前には依存症は極めて酷くなり、家族の前で何本もの刃物を研ぎ続けて握りしめていました。幻聴、幻覚、猜疑心、脅迫観念、あらゆるものが自分の敵になり、怯えた獣のように震えていました。包丁を持って暴れることは日常茶飯事、時には灯油を頭からかぶって火を付けたこともありました。数年前の大晦日の前日に母が刺されたことで、強制入院を決断するに至りました。
そして1か月半が経った頃、半世紀にわたって自分が家族に強いてきた生き地獄のような環境に、病院内で自分が晒され、自分自身の「生きたい」という本能が覚醒を呼び、悟りをもたらしました。
強い誘惑や欲望に対し、我慢や隔離や辛抱で対抗できるなら、まだ救いはありますが、
依存症にはきっと無意味で無力だと思います。治療が及ばない病です。
唯一の対抗策は、死の恐怖を味わって本能で悟ることしかないと確信しました。
こんな話は、アルコール依存症患者の家族の間では、普通のよくある話だと思います。
褒められた話でも、美談でもありません。決して特別な事例ではありません。
病院で見せられた父の頭をスキャンした写真では、約70%程度まで萎縮した脳が白く写っていました。
たとえば鉄のバネならば、伸びきって使い物にならなくなったバネとでも言えるでしょうか。バネは一度伸びきってしまえば、決して二度と同じように使えるものにはなりません。
人というバネとして役には立たないまでも再生を願うならば、もう鉄を溶かして初めからバネを作り直すくらいの覚悟が必要だということです。
果たして、私達が物を見たり感じたりする心のバネは、伸びきってはいないでしょうか。
十代の青春が二度と戻らないように、過ぎてゆく景色はいつまでも一方通行です。
今まさに鉄を溶かして、自分の経験や実績や従来の常識、くだらない馴れ合いに囚われずに、バネを作り直すくらいの気持ちがなければ、新たな発見もありえないし、ましてや歌の心というものも出来はしないと思っています。
● 押されても動かぬ様は老害だ 伸びたバネにはなりたくはない
伸びて働かないしわ寄せは、往々にしてしなやかで真面目な所にやってくる。
2020年2月16日
短歌 ミルク