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短歌のリズムで

言の葉が群れをなすかな鰯雲 暮れゆく空で歌になるらむ

仁王像とお地蔵様とマスク

新型コロナウィルスという未知の病原体に遭遇して、私たちの生活は大きく変わりました。
今まで以上に人と人との距離やコミュニケーションの方法に知恵を絞らなければならなくなりました。マスクや手洗い、うがい、咳、人と関わる多くの事にまるでエチケットという名のきんこじ(孫悟空の輪)が填められたようになりました。
マスク姿の架空のキャラクターや看板も増え、大切なマナーであることを訴える啓発活動としては一定の効果があるのかもしれませんが、とある寺院では門番の仁王像までマスク姿になっているというニュースを見て、それは少し違うのではないかと感じました。

寒い地方のお地蔵さまに地元の方が笠を編んだり、蓑を着せたり、また座布団をこしらえたり、手袋やマフラーをお供えしたりすることはよく耳にする出来事としてあります。
その事と、仁王像にマスクを付ける事とは、根本的な所が大きく異なります。

お地蔵さまは、地域の人々の代わりに見守り役として存在しています。人の叡智や努力が及ばないことへの一縷の望みとして、それぞれの心の光となって雨の日も風の日も道端に立って居られるのです。人々はそれが解っているからこそ、雨風をしのぐもの、身に纏えるものをお供えしているのだと思います。お地蔵さまは決してご自身の為に立ち尽くしているわけではありません。

仁王様(阿形像・吽形像)は寺に魔物を入れないように守護すること、信仰心のないものが入らないように見張ることがその主たるお役目です。尊い信仰を守るためであって、そもそも人々の為にそうしているわけではありません。(結果人々の為にもなっているとは思いますが)そして一応仏様であるわけです。何者も撃退するような超人的な力をお持ちになられた方々です。勘違いしてはいけないのは、人は勝手に自分達に似せて神の姿を創造してしまっていますが、そもそも人のように脆弱な生き物ではないということです。
人はいつも人が優先で、人が一番だと思っています。
人の考える都合で世の中のものが作られているから、人の価値観でそれらを扱ってもよいと勘違いしているのかもしれません。

「他の人や物がマスクをしていないから」という身勝手な子供の問いの答えの為だけに、信仰も神通力もねじ曲げて仁王像にマスクを付けてしまう愚かさは、「いつも見守って下さってありがとう」というお地蔵様へ向かう感謝の心とはベクトルの方向が全く違うものです。
いったいどこまでやるのでしょうか。
大仏様や巨大観音にもマスクを装着するのでしょうか。
ろくに努力もしないで、考えることもそこそこに影響力だけを拝借する考えの持ち主の方にバチがあたりそうな出来事です。

一言も発することのない、しかもソーシャルディスタンスを保ったままの仁王像は、話せたとしたら一体何とおっしゃるのでしょうか。

短歌のことについても何度も何度も同じ事を申し上げています。
「自分の」「自分が」「自分なら」・・・。
自分が世の中の中心で、自分が動いて出来事が産まれているという幻想を捨てなければ、いつまで経ってもこのような馬鹿げたことが起こってしまいます。自分がお地蔵様になれなくても、お地蔵様の視点で歌を読むことはできます。
しかしそれは「お地蔵さまの眼」が見た景色でなければならないのです。自分を捨てて、お地蔵様が一体どのように感じて居られるのか、それを感じることこそが歌の神髄です。

神々のアルカイクな表情はすべて、そのためにあるのだと思っています。

・ 奢ること正さぬ人は見誤る両の阿吽は怒りの間合い

容易に近づけないものがある。何人も怒りの結界を侵してはならない。

2020年5月28日
短歌 ミルク
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プロフィール

HN:
ミルク
性別:
非公開
趣味:
頭の体操
自己紹介:
気づく人だけが手に入れられる
輝きを求めて、日々の宝探しを
楽しむように短歌のリズムで進む
足あとのようなものです。

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