熊は山の神と言われ古来より人と森を行き来する特別な存在であると、信仰や儀式の対象とされてきました。今は食用でも家畜でもない熊ですが、ぬいぐるみと言えば大抵は熊のぬいぐるみが目に浮かびますし、多くの家々に実際に様々なぬいぐるみの熊がいて、共に暮らしているのが普通の景色です。
理性と野生を橋渡しする為に、神様は特別に小熊にその役割を持たせたのかも知れません。命の頂点としての人間の生き様を試すため、実際には抱けない無垢な命を抱かせて、考えろと言っているかのようです。ぬいぐるみは害も加えず、食べもせず、ただただ人の温もりだけで体温を持ちます。
命のやりとりは、それぞれが生きる為だけの尊い行為であり、自然に組み込まれた儀式です。欲に任せてやみくもに行えば、簡単に種は途絶えてしまう。動物たちに「にんげんていいな」と思われる人でいようとするために、私たちは熊を抱いて眠らずには居られないのでしょう。
人ならば神の望んだ人であれ願いがきっと抱かせる山の神
ぬいぐるみの目はどれも真っ直ぐで、人は神様のふるいにかけられている。
2019年7月12日
短歌 ミルク