エネルギーが永久持続ではない以上、変換された過程で損失したものと得られたものは比率は別として同様に表に現れるはずです。少し前まで自転車のライトはダイナモでした。いつもより漕ぐ力はいるものの、ダイナモが発電し電球を光らせることができていました。とてもわかりやすい、力とエネルギーの変換の実例がそこにはありました。
最近、全く使えなくなって困ったものがあります。ソーラー電卓という小さな太陽電池を搭載した、どこにでもある電卓なのですが、住宅の照明がLEDに変わったことで全く反応しなくなりました。どうやら紫外線の量が少なすぎて、太陽電池が発電しないらしいのです。バックアップ用の電池も使っていない古い電卓は、日向でしか使えない代物となってしまいました。
蛍光灯からLEDになって、消費電力や寿命のメリットを享受する一方でやはり失われているものがあったことに気付き、効率や省エネ一辺倒の製品や施策に対し、隠された部分にも考えを巡らせなければならないことを実感しました。恩恵があればあるほど、対岸ではそのために失われたり疎かになっていたりすることが多いのだという事実を対等に見極めなければなりません。あまりにも便利や無料に踊らされることの多い現在、真剣に向き合わなければならないことの一つだと思っています。
恩恵は依存へ育ち失うという想定すらも先送る日々
飲酒の高揚感と充足感は本当に酒の恩恵なのだろうか、マイナスが麻痺してプラスだけ感じてはいないのか。
2019年9月16日
短歌 ミルク