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短歌のリズムで

言の葉が群れをなすかな鰯雲 暮れゆく空で歌になるらむ

スライドパズル

古くからある知育玩具の一つにスライドパズルがあります。4×4で区切られた16個のマスで15個のピースを動かして絵柄を完成させるものですが、私は多くの理(ことわり)をこのスライドパズルから得ることができました。困難や袋小路に直面した時、そっとこのスライドパズルのことを頭に浮かべるようにしています。

何事も上手くいっている状態は、パズルに例えるならピースが自由に動いてスムーズに絵柄を完成(目標の達成など)できていることなのでしょう。
それでは、上手くいっていない時はどういう状態なのでしょうか?
それは本来必要のない16個めのピースをパズルの盤面に置いてしまい、硬直して何も動かせない状態をそう呼ぶことはできないでしょうか。

一見調和の取れた、安定して見えている(動かせない)パズルとは、可も不可もなく平凡で揉め事のない幸せな状態か、もしくは不満や不幸はあるものの、もうどうしてよいかわからずに諦めてしまっていて、現状に閉じこもっているか、そのどちらかだと思うのです。

自らが動かずに、周りや他者にその原因や責任を転嫁するとき、16番目のただ白いピースに言い訳(病気や境遇、環境など)をくっつけてはめ込んでしまうのだと思いますし、そもそも自分が何も動かなくてもよい程恵まれていれば、わざわざ白いピースを外して動き回ることもありません。

発想や知恵は、単に外部から取り入れたらそれでおしまいという訳ではありません。
自らがリスクを侵して染みこむ場所を設けて、そこに導くための努力が必要です。
困難の中で自分が逃げて蓋をしてしまった意味のない16番目の場所を、再びこじ開ける力が必要だと思っています。
古典短歌、特に身分の高い恵まれた境遇の歌人が詠んだ歌に、私が何の共感も憶えられないのは、頭の中のスライドパズルが動いていない(能動的な欲求に乏しい)ことに原因があると確信しています。~たら~ればに終始するということは、自らが意味の無い白い16番目のピースを置いてしまっていることに他なりません。

(気づき)はトライアンドエラーの繰り返しの中でこそ姿を現します。
世界一周旅行をしている人に貯まる静電気も、一日中家の中で特に変わったこと無く生活している人に貯まる静電気も、その量や衝撃に大差はありません。大きな経験をした人だけが大きな(気づき)を得るわけではありません。
小さなパズルでも、日々必死になって一生懸命動かし続けている人にこそ巡ってくるものだと思います。
充実や幸福感も(気づき)にとってはマイナスとなるように、人は油断すればすぐに16番目の白いピースをはめてしまいます。枯渇せず満たされた状態には、何百年待ったとしても(気づき)は訪れません。
自分の心の中のパズルがどんな状態なのか、そしてそれを変えられるのは誰なのか、短歌はいつも私にそう問うているような気がします。

満たされて蹂躙されて動かない心は不憫スライドパズル

幸福に蹂躙された方がいいという人もいる。しかしその空で言葉は飛べるのだろうか。

2019年12月12日
短歌 ミルク
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プロフィール

HN:
ミルク
性別:
非公開
趣味:
頭の体操
自己紹介:
気づく人だけが手に入れられる
輝きを求めて、日々の宝探しを
楽しむように短歌のリズムで進む
足あとのようなものです。

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