今まで意識が無くなりそうになったことが二度ほどあります。
どちらも十年程前の話ですが、脱水症状になった時と、血糖値が急上昇してしまった時です。どちらもしばらく安静にして事なきを得たのですが、倒れてしまう寸前というのはこういう状態になるのだなという経験ができたことは良かったと思っています。
脱水症状になったのはちょうど今のような熱波の最中に営業で車に乗っている時で、意識朦朧としてぐるぐる目眩の起きる中で、何とか路肩に車を止めてクールダウンしたことで戻れたのですが、自分でも血管の中の血がドロドロで巡っていないなぁと解るくらいに、大量の冷や汗が出ていました。脱水している上に更に汗が出てしまうので、一気に脱力状態になって危険な状態になるのだと思います。
また血糖値が上昇した時は、断食明けの食事の最中でした。約一週間の断食の後、我慢しきれずに少しだけカロリーの高い食べ物を口にしました。本来ならばおかゆなど、低カロリーで胃や腸に負担の少ないものから食べ始めるのですが、なにせ辛抱が足りません。
お茶碗半分くらいの量(ちなみにカツ丼です。絶対に真似しないで下さい)を食べた所で、急に立ちくらみのような症状で意識が薄れてゆくのを感じましたが、脱水症状を経験した後だったので、すぐにピンときました。表現と実態が合っているかどうか解りませんが、急激に血液が脳に運ばれてゆくような感じがしました。(脳が糖分を欲しているため)普段とは比べものにならない圧力で血液が動いていることを理解して、この時もすぐに少し安静にして食べるのを止めました。脱水の時ほどの重症ではなかったのですが、お医者様には、もしも脱水の経験がなければ死んでいたかもしれないと言われました。
なにやら自分が短歌に出会って、必死に歌を作りまくっている時に似ているなと後に思い始めました。欲望や使命感が先走ってしまうと結果はいつも的外れなものばかりで、因果関係をじっくりと追いかけてみて始めて、心の動きや言葉の選択の成り行きが見えてくると思いました。あまり熱くならずに、ごく普通の状態で短歌に向かい合う方が、一つ一つの事象をゆっくりと追いかけることができて、健全で澱みのない表現ができるような気がしています。
命の維持に必要な水や糖分を運ぶ血液が常にサラサラと流れるように、短歌の心は何かが大幅に足りなくなっても、余るくらいに足りていてもダメなのかもしれません。時にストイックに追い詰めることも、時にだらりと甘やかすことも必要でしょう。しかし限界を知らずに行うことは危険なことだと認識するべきです。過去の歌人には命を削って作歌したような方もおられますが、そこまでしなくても危険なことが解っていればそれでよいと思います。言葉が情熱を越えたなら本望ですが、情熱が言葉を越えてしまうと命を失います。
気軽にとは言いません。線路がたわまない程度の隙間、心の余裕をもって作歌に望むことが求められていると思っています。
・ 火照るから勘違いをする熱ならば隙間持たせよ線路のように
囚われた心はまるで熱暴走した回路のようだ。熱は冷ますか逃がすしかない。
2020年8月22日
短歌 ミルク