それはまるで大きな慈愛のように映りました。雨上がりの蓮根畑で、蓮の葉の上に出来た一握りの水の玉と、傍らで動かない一匹の雨蛙。暮れてゆく空を映す水の玉に自らの姿も見る蛙、お釈迦様と悟空のやりとりにも似た瞬間に、蓮の広い悟りを感じて見入ってしまいました。蛙は動いているものに高度に反応するため、動いてないものへの視覚が減退してしまっていて、ほとんど反応しないと聞いたことを思い出し、水の玉は動かないが、その中で夕空は少しも留まらないで変化しているのだよと、蓮が蛙に説いているようでした。あらためて生きているもの、生かされているものには、問いと答えがちりばめられていることに、深い感慨を覚えました。
一匹の為に留めて揺らさずに蓮の見せる夕空の色
今晩君はそのことを誰に話しているのかな? 鳴きやまないね。
2019年6月11日
短歌 ミルク