うたよみんを一度離れて戻る際に、満を持して作った歌があります。
「ああ空よ 夜をどれだけ薄めたらそんな青さで塗りつぶせるの」
私の短歌に対する姿勢や方向性を決定づけた、大きな原点となった歌です。
思いつくまま、五七に当てはめて少し心象的なスパイスをふればいいとだけ考えて稚拙な作歌ばかりしていました。最初はそれでよかったのかもしれません。誰か経験の豊かな方に教えを請うたほうが、速く上達できたのかもしれませんが、天邪鬼な私は今の偏った短歌界のスタンダードに納得ができませんでした。先の例えで言うならば、同じ短冊形では切り取りたくないということになるでしょうか。事象というカステラは、自分の道具や自分の角度で切り取るからこそ、その人やその歌なりの味わいが出るものだと直感的に感じました。(これは著名な歌人達が素人歌人の歌を評した文章を読んでいて感じました。)
セオリーのように積み上げられた要素を廃し、口語で、易しい言葉で、小学生でも九十歳でも瞬時にイメージできて、何十、何百、何千回もの再読に耐えうる歌を目指したとき、もがきの中からぽとりと落ちてきたのがこの歌でした。
記憶をさかのぼったり、表現の手法を歌集に求めたり、沢山の言葉を思い浮かべて見えてくる景色を研ぎ澄ましていく過程で、思いつく言葉は次々とふるいから落ちていってしまいました。辞書には沢山の言葉が記されているけれど、実は語彙の種類や豊富さなんて問題ではなく、言葉を越えた状態に対してどのような表現が可能なのかという、極めて単純なことに気づかされることになりました。
「どんな言葉でも、言葉足らずである」という状態からスタートして初めて、表現の域に到達できるのだと思い知ったのです。
見慣れたものであればあるほど、記憶に刻まれる際のインパクトは相当なものだと思われます。もはや普通の言葉や比喩では伝わらない、追いつけない状態を、一体どのような三十一字に託せばよいのか悩み進める作業こそ、短歌を学ぶ苦しさであり面白さでもあると思います。
初心者はもちろん、ベテランと思われる方にも、単なる語りや当てはめの短歌が多すぎると感じています。
●光る言葉があったから、これに合う事象を探す。
●こんな経験があったから、これに合う言葉を探す。
これではいつまでたっても日めくりカレンダーの域を出ずに、詠み捨てられ忘れられてしまうものしか生まれません。自分一人が自分一人だけの為に作歌し、吐き出しているのなら、あれこれ申し上げるのは不粋ですが、少なくとも人の目に触れ、詠み読まれるものならば、日記のようになることは避けなければなりません。「初心者です」は何の免罪符にもなりませんし、承認欲求は邪な心ととらえられかねません。
音調を際立たせるために五七のリズムがあり、三十一文字という制約があります。少々の破調はともかくとしても、これだけデタラメな音調や字数の歌が多いということは、完全に短歌という文芸が軽んじられている証拠だと思いますし、圧倒的な語彙力の不足があげられます。
「うたよみん」や「うたの日」というサイトを覗けばそれを顕著に感じられるはずです。
歌題に対して言葉の種類や表現が非常に似通った歌のオンパレードです。多くの参加者がいるにもかかわらず、手頃な言葉や見慣れた表現でしか歌が作られていないためです。
少し見て頂ければ、「たまたま被った」というレベルの話でないことはお解りいただけると思います。
わかりづらい歌には2種類あります。
よくよく咀嚼して読み深めないと味わえない歌と、詠んだ本人だけの世界観で詠まれた歌です。しかし、深い味わいがあるからといって、気づきのない歌はあまり評価できません。
「共感」こそが第一と錯覚されているかもしれませんが、「共感」の前に「気づき」が必要だと感じています。気づきがあることで、後に奥深い考察が可能になるからです。無理やりに作歌の世界を理解しようとするのではなく、気づきを通じて、自分自身がその事象からどのように心が動いてゆくのかを追体験することで理解が深まって、「共感」の先にある歌の世界を知ることに繋がるのだと思います。
作歌はともかく、人の歌を読むことすらも苦痛に感じられる時があり悩むことがありますが、その感覚は間違ってはいません。
歌のせいでそうなっているのです。歌が穏やかな心を導けないのなら、それはもう歌ではありませんし、そんな歌なら読む必要はありません。
咀嚼に耐えられる歌を繰り返し読んでいるほうがマシだと思います。
ですから、歌に出会いたいと考えるよりも、歌を詠む心に出会いたいと考えて、自分が心地よいと思える歌人の心を求める場所として、短歌サイトは有意義であると思っていますし、素人であっても優れた歌人は大切な気づきをもたらしてくれるものです。
歌の世界を知って詠みたい読みたいが先行するのが初心者の常ですが、横暴な歌がせっかく灯った作歌の心を邪魔しないように乱作乱読することを避けることが、短歌の試みには重要なのかもしれません。
2019年10月6日
短歌 ミルク