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短歌のリズムで

言の葉が群れをなすかな鰯雲 暮れゆく空で歌になるらむ

見えていない先に向かって

生首のような不気味な気球が芸術だという、芸術の名を借りた悪趣味なイベント(税金を使って)の映像に、歌壇もやっていることは同じような事だと妙に納得してしまう自分もいて、間近なもの、身近なこと、触れやすいもの、聞きやすい音に流されないように気を付けなければならないと感じる夏の中にいます。
盛り上がれば何でもよいというのは余りにも幼稚な考えで、不気味の谷というものは谷とはいえ人によって大きな峡谷のように幅のあるものです。
大きな物を空に揚げれば大人数がそれを認識し、また話題になるであろうと思うのは自由ですが、そんな昭和のアド・バルーンのような思考で多様となった令和の人達に何が伝わるのか、大いに疑問も湧いて参ります。
それにしても、自分で賢いとか才能があるとかと、さも自覚しているかのように思っている方々はどうしてこんなにも先の事が見えていないのか、実体を見もしない過大な評価がなぜ野放しにされてしまうのか、汚れの源流にあるものはきっと同じものなのでしょうね。

今になって高く評価されていますが、岡本太郎さんの太陽の塔がその場所に立ち続けているのは、きちんと描かれた未来がその内外に具現化されていたからに他なりません。
今この時に「どうだ!どうだ!」ではなく、到達できるかどうかすらあやふやな未来に向けて道標のように作られたものだからこそ、時の濯ぎや浮動する価値観に左右されずに残っているものなのでしょう。

ことさらに利便と合理性を追って発展を続けた文明もここにきて急ブレーキがかかることが増えてきました。圧倒的に便利になった移動手段や買い物とは裏腹に、銭湯も海水浴場も遊園地も映画館もボウリング場も消えてしまって、昭和を知る世代にとっては不便と感じる事が増え続けています。駄菓子屋も本屋もレコード店も消えて、まるで丸いポストを失った時のような喪失感ばかりが漂っています。

コンビニで見えても触ってもいないお金が「シャリーン」と口座から引かれてしまうことよりも、ボロボロの自販機に入れたお金が取り込まれて返ってこないことの方が、心にとっては健全なのではないだろうかと錯覚してしまうほど、世の中の仕組みは「心」が介在することを許さなくなってきました。
しかし私たちが未来の世代に残すべき物の本質は「真の豊かさ」であり、物質やお金や名誉ではありません。太陽の塔が目に見えていないクエスチョンマークを内包していたように、私たちは次の世代に対しても疑問を投げかけ続けなければなりません。「自己愛」に侵され「傍観者」を気取り、絵空事の「正義」ばかりをうわごとのように呟いても、1mmも危険にさらされないことを知っているSNSの住人達は、消費されることから逃れられない飼い慣らされたブロイラーと変わらないでしょう。

世の中を平和にすることは実はとても簡単なことです。
自分以外の人や物に対して、どれだけ愛情を持って接することができるかということに尽きると思います。
そんな簡単なことが解っていながら、人はすぐに悪魔に心を売り渡してしまいます。
自分を自分で成り立たせようとすることに必死で、その為にはあらゆる事を犠牲にしかねません。もっともっと自分が小さく細く脆いことを自覚して、自分は自分以外の物があって始めて成り立つということを知らねばならないのに、「自己愛」は瞬く間に蔓延し、ゴミのような共感や同調と共にことごとく大切なものをブチ壊していくのです。

本当の価値、本当の力、それを見誤って日本は戦争に敗れました。罪のない多くの一般人を犠牲にしたのです。長い歴史や、深い信仰心や地道に培われた精神を持っていても、先端科学を駆使する数や合理性に全く及びませんでした。それでも及ばないことを認めず、己の力に酔い、ただ続いてきた歴史に溺れ、「我が国こそが世界一」という「自己愛」の呪いから冷めなかった結果が、広島と長崎への原爆投下という悲劇を招いたのだと思います。

本当は、敗戦を機に過去からのレガシーを丁寧に見直すべきだったと思います。そして残してゆくものとはどういうものなのか、勇気をもってふるいに掛けなければならないでしょう。誰でも何でも素晴らしい、価値があると叫ぶのはただの偽善であり、欺瞞です。
散々区別して、差別して、階級を敷いて、家計や血筋を守って、その行き着いた先が多様になってしまった。そもそも分けられる必要すらなかったものを、醜い人が分けてしまったが為に、根深い分断が後を絶ちません。間違った伝統や風習が未だ古来からのという免罪符に甘んじて放置されて、大きな乖離を招いてはいないのでしょうか。

言葉は心の舵を切る大きなきっかけをもたらしてくれるものです。
短歌がその役割を捨ててしまったら、もう存在し続ける意味など無いと思っています。

「気付きという小さな痛みをもたらす短詩」

その場所を目指さないものはもう短歌でもなければ、歌人でもない。
ただ自由な詩形に甘えた自己顕示欲の亡者に過ぎません。

「見えていない人達」から短歌を取り戻す。そしてきちんと歌の道標を立ててゆく。
それが真に短歌を愛する人達に課せられた使命なのだと思っています。


2021年8月3日
短歌 ミルク
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プロフィール

HN:
ミルク
性別:
非公開
趣味:
頭の体操
自己紹介:
気づく人だけが手に入れられる
輝きを求めて、日々の宝探しを
楽しむように短歌のリズムで進む
足あとのようなものです。

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