夏になるといつも早逝の恩師のことを思い出します。
未だ命の重みや大切さの欠片もわかっていなかった私たちには、その出来事やそれからの数ヶ月間がまるで記憶から抜け落ちているように実感がなかったことだけを、強く憶えています。真面目で嘘などついたことがないというような木訥とした新任教師に、時代は容赦なく荒れた十代をぶつけてきました。セクハラ、パワハラ、モラハラや賄賂まで平然とまかり通っていた右肩上がりの高度成長の中で、純粋な魂は日々戦っていました。コントロールできない生徒と圧力だけを振りかざす上司や先輩教員、名誉だけを頑なに守りたい校長などとの間で、まだ社会経験も少ない若い教師は悩んだのだと思います。幾度となく私たち生徒と話し合う場を設けてくれたり、年齢や経験を越えて教え子にすら意見を求めてくれたものでした。とても繊細でか弱い青年でしたが、私たちは彼が本当に死を選んで此の世から居なくなってしまうなんて、誰一人夢にも思ってはいませんでした。
子供達は子供達なりに、親や大人の図々しさを日々感じながら生きています。
「大人だからいいなぁ」とか「大人だから大丈夫」といった図太くてふてぶてしい大人の強さのようなものを、どの大人にも当てはめていたのかもしれません。
でも先生は違っていました。
今考えても、「汚い大人になってもいいから生きていて欲しかった」という考えの自分と、
「先生は自分の生き方や正義を貫いたのだ、その選択は間違ってはいない」という考えの自分が半分半分でせめぎ合っています。自死することは決して褒められたことでも、名誉なことでもありませんが、「誰も傷つけないままで退場したい」と思うことは誰にだって経験のあることだと思います。
中途半端で、成り行き任せで、ごますりばかりの汚い大人にはなりたくなかったという選択は間違っていたのかもしれませんが、「教師」という仕事に対しての最大限の誇りと、「汚い大人の教え子」を一人も作りたくなかった若き青年教師の切なる願いがもたらした悲劇だったのだと思います。
「最初で最後の生徒」それは僅か四十数名に託されたとても重い十字架ですが、私は十字架というよりも託された使命だと思っています。
アルファにしてオメガ。閉じられた魂αをオメガΩのように解放しろという、先生からの伝言に思えて仕方ありません。
美しく優しい話し言葉、女性のような所作、そして国語の教師であったこともすべてが、この一つの伝言の為にあったものだと受け止めています。
「守りたかったもの」「伝えたかったこと」「学んでほしかったこと」すべてを丁寧に心でたぐりながら、数年前に私は錆びた剣を抜くことを決めました。
先生が研げと言っているような気がしたのです。それが短歌の道を歩き始める大きなきっかけとなりました。
四国遍路ではありませんが「同行二人」、恩師と私の修行の道が始まったのです。
あなたが旅立った時の倍の年を生きています。最初にして最後の教え子という名に恥じないように、言葉に愛される人を目指します。
2021年8月4日
短歌 ミルク