最近、投稿仲間の方から、「歌の解釈に対してどういうスタンスでいらっしゃいますか?」という誠に丁寧なご質問を頂戴しました。たいへん恐縮しながら、サイト内では簡潔にお答えしたつもりですが、いかんせん言葉足らずに陥っていて、補足の意味で、こちらできちんとお答えしたいと思います。
私は、解りやすく説明するために、いつも自分の短歌は「事象というカステラの断面」だとお伝えしています。事象は実際の出来事でも、架空の出来事でも、破綻しないような設定であれば可能だと思います。この事象を、言葉という道具で切り取るのですが、使う言葉もまちまち、切る場所や切る角度もそれぞれが異なるカステラの断面が、作歌というプロセスを経て現れてきます。この断面こそが短歌なのではないかという解釈でおります。
どの道具を使って、どういう角度で、どんな心持ちで切った断面なのか、其処に想いを寄せながら読むのが、私のような作り方をしている短歌には合っていると思いますし、作歌意図により近いところで理解が進むのではないかと思います。ですから私の断面は私が切ったものであり、読んでいる人の意思で切り取られたものではないといえます。
事象が歌の素地だとしても、元々の素地から、読み手に委ねて作られているような短歌も沢山見受けられます。これは新進気鋭の歌人などにも多くいらっしゃるパターンで、もはや形すらカステラなのか何なのか、自分にしか解らないようなものを切って、現れた断面で判断してくれよという、完全に放り投げた作り方だと思います。様々な解釈が出来、嵌まる人が出る一方で、素地が素地ですから、1mmも理解できないという人が存在することも確かです。
歌人の中には、ミルフィーユのように生地を重ねて、わざと周りにクリームを塗って隠して、切ったら「ハイ、ミルフィーユでした!」と言わんばかりの人や、カステラかどうかも解らないようにカムフラージュして、切ったら「カステラでした」というような、トリッキーな歌を作られる方もいらして、解釈をどう辿っていけばいいのかを迷う場面がよく出てきます。
沢山の方の多くの短歌を詠んでみて、作歌された方の考える「短歌」というものが、いったい何であるかを知ることが、解釈や読解の一番の近道であると思うようになりました。素人ならば、確かに「歌によりけりである」こともあるでしょう。しかしプロや、結社に属されているセミプロの歌人にとっては、自分にとって短歌が何なのかについては、ある程度明確な答えがあって、作歌されているものだと推察します。
出来ることなら、その答えに添って読んで理解したいと思いますし、いきなり「歌は読み手のものだから」と放り投げられて、困惑してしまうことも無くなると思います。いずれにしても、深く歌を理解するには作歌の意図を辿らねばなりません。最も危惧するべきは、「あっ、似たような断面見たことある」とか、「あの道具を使えばこんな断面できるんだよね」といった、薄っぺらい表層だけの解釈に終わって、歌を詠んだ時の心の在りようが見落とされてしまうことなのです。
私のような全くの素人だからこそ、ただ単に歌だけを投稿するのではなく、より作歌の意図や心の動きが解るような一言を添えることが必要だと思っています。もっと上達して、そんな能書きを書かなくてもいいような歌が作れたら、それが一番に違いありませんが、一生かかっても作れるかどうかという、誠に長く険しい道のりです。ただ、自分だけではなく、他の方の素晴らしい歌に出会いながら歩めることが、なにより楽しいと思えるのもまた、短歌の魅力なのだと思っています。
2019年6月1日
短歌 ミルク