数少ない熱心な読者の方からは、まれに挑戦的なメールを頂くこともあり丁々発止とは言わないまでも、熱く短歌の事について語り合う機会があります。屈託なく聞いて下さったり、こちらも熱弁したりで、お互いの情熱や期待が高まることを感じ合える貴重な経験であると思っています。バットにボールが当たるから遠くへ飛んだりバットが折れたりするわけで、見逃しや空振りでは掴み得ない感触は、何よりも自分を再確認し再発見できるきっかけになるものだと思っています。
一人の短歌好きな人間としては一番見てみたいのは歌人同士の合戦なのですが、残念ながらどのようなメディアにおいてもそれが行なわれたことはとても少ないと認識しています。良い所も悪いところも含めて一首を深く読み解いて競わせることは、その後の作歌や読解に多大な影響を及ぼすと思うのですが、平和主義者ばかりなのかなかなか実現は難しいようです。
合戦というとすぐに数値化しろとか白黒付けろとか、ランキングにしろとか、そんなイメージが浮かびますが、私は一首を丁寧に紐解くことで得られる学びを具体化するために、プロの歌人や批評家の多面的な読解が役に立つのではないかという考えのフィールドとして、合戦形式のような場があっても良いのではないかと感じたのです。
勝ち負けや殺し合いではないけれど、剣を合わせて相手の力加減を探ってみるという経験を、多様な作者同士でやってみて欲しいのです。
と言ってはみたものの、実現することはないでしょう。
とにかく傍観者で居たい人が多すぎます。
自分ひとりでバッティングセンターには通っても、ベンチで声援かスタンドで応援するばかりで、生きたピッチャーやバッターと対戦したいと思っている人なんて、多分歌壇には一人もいらっしゃらないのではないかと思います。権威を維持し、賞を廻し合い、互いを尊重し合うばかりでぶつかることのない輪の中で短歌を詠みたいという人ばかりで、真に短歌の普及や発展や将来について真っ正面から向き合っているのかどうかも怪しいばかりです。
分母の大きな中で当たり障りのない場所で静かに短歌を愉しみたいと正直に言えばいいと思うのですが、やはり有名にはなりたいらしく盛んにSNSで自分発信をしていたりしてばかりという歌人が目立ちます。
そのような方達に申し上げたいのは、
「傍観者でも爆弾の破片が当たったら死にますよ」ということです。
実際に戦っているソルジャー(兵士)はそれなりの装備で戦っていますが、傍観者は丸腰です。流れ弾が当たっても、爆発の破片が当たっても死にます。
もちろん、箱船だと信じて乗っている舟が沈めば死んでしまいます。
戦う意思などないといくら叫んでみたところで、敵と見なされれば攻撃されるわけです。
いい加減にくだらない短歌を持ち上げ続ける愚行に気付かなければ、瞬く間に排除される憂き目に遭うかもしれません。
夏井いつきさんのことは好きではありませんが、プレバトという固定された基準のもとに作品を評価する場が展開されていることは、そのアイディアも含めて素晴らしいことだと思っています。
果たして短歌にこのようなことを許容する懐の深さはあるのでしょうか。
正々堂々とビジネスにして、お金を出して生活の中に取り入れてもらえてこそ、心に根付く言葉となるのでしょう。エッセイや小説やサブカルに逃げないで、今こそプロの歌人には100万部売れる渾身の歌集を出して欲しいと思います。
何かと言えば古今集、古今和歌集、万葉集、百人一首ともてはやす和歌や短歌が背負っている歴史や文化、造詣の奥深さがそれだけ凄いものならば、馬場さんや佐佐木さんや永田さんなら、本気を出して100万部を売り上げることも容易いはずです。
音楽や漫画や映画にはそれが出来ていて、俳句や短歌に出来ない違いとはなんなのでしょうか。真剣に考えなければならないでしょう。
2021年10月8
短歌 ミルク