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短歌のリズムで

言の葉が群れをなすかな鰯雲 暮れゆく空で歌になるらむ

「一生」なんて簡単に詠えない。

観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日(ひとひ)我には一生(ひとよ) 栗木京子

現代歌人協会の理事長も務められている歌壇の重鎮、栗木京子さんを代表する一首です。
最近また忖度著しいテレビ局などが、○○短歌とか、○○万葉集などと企画して、くだらない現代歌人の短歌をもてはやしていることに我慢ならなくなり(笑)、劣化の一途を辿る現代短歌を形成した「直接的な原因」となっている歌と歌人について書いてみたいと思います。

以前にも書いたような記憶がありますが、私はこの歌を初めて読んだ瞬間に、

・これは頭の中の妄想で作っている
・自分大好きお嬢様の素敵なエピソード
・観覧車じゃなくて自分中心に世界を回している
・大げさで中身のない自分語り

という印象を持ちました。(2秒で)

感じ方は人それぞれなのかもしれませんが、普通「一世」なんて言葉は、不治の病で明日にも死んでしまうかもしれない人くらいしか使えないと思います。
仮に一生に一度しか出会うことのない人だったとしても、一世とするには死との距離がありすぎるのではないかと思います。
ありふれた、しかもリアルに起こったことでもない情景で、一日と一世が到底釣り合うことなどありません。
落差を甘く見て言葉に気を配らなければ失敗するという最たる例だと思います。
観覧車を時計や時間の流れに例えてモチーフにした例はたくさんありますが、私にはどうしても「回れよ回れ」のリズムと「一日一世」の対比が結びつかないのです。
読み手に委ねているものがあまりに曖昧すぎて、
「私には一生分のとても素敵なデートだったんだからぁー」
という中学生の叫びにしかとれません。

教科書にも掲載されているようですが、一体何をもってこの歌が名歌や秀歌と言われているのでしょうか。本当に謎です。
※細かいことを言えば、「想ひ出」のひや、君と我の言い回しも嫌いです。

今まさに現在進行形で行なわれているロシアとウクライナの戦争で、ウクライナ兵士が語った一言は、一撃でくだらない頭でっかちのデート妄想を吹き飛ばす程の重みを孕んでいました。

「一日は小さな一生」

オンラインでインタビューを受けている今その時も、攻撃の恐怖に耐えながら一秒一瞬を生きている戦場の人にとって、これほどまでにその心情を言い当てた言葉はないかもしれません。この一秒を乗り越えた、次の一秒も乗り越えた、その張り詰めた短い時間を積み重ねたものが一分になり一時間になり、一日になっている。そうやって一日に凝縮された「生きていた」時間は、まるで一生のようだと辛辣に語っているのです。

そしてそれはリアルな現実を何の虚飾もなく吐き出した素直な言葉だと思います。

とても不幸な出来事ですが、一日と一生が釣り合う現実の中だからこそ紡がれた言葉だと思うのです。

詩や短歌の世界には、ある程度の妄想や創造性は必要です。けれども安易に使ってはいけない言葉や表現があると思います。言葉自身はノーとは言わないけれど、間違った使い方をすれば必ず打ちのめされる時が来ます。本当に詠もうとしている事象に寄り添っているのか、よく考えて作歌すれば誰でも気付くことだと思いますが、言葉遊びや技巧に囚われてしまうと忽ちに見失うのかもしれません。

この歌を「目標」のように見据えてしまうと、その先にはもう堕落しかありません。
自分も、短歌の感性も、短歌そのものも、限りなく劣化し堕落し、朽ち果ててしまうでしょう。

少しでも多くの人がこの事に気づいてくれることを願っていますが、それこそが儚い妄想なのかもしれません。

2022年9月2日
短歌 ミルク
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コメント

プロフィール

HN:
ミルク
性別:
非公開
趣味:
頭の体操
自己紹介:
気づく人だけが手に入れられる
輝きを求めて、日々の宝探しを
楽しむように短歌のリズムで進む
足あとのようなものです。

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