二十一世紀になっても人は自分達が創り出した鉛の弾が飛び交うことを阻止できないでいます。もう数年もすれば映画さながらの戦闘マシンが戦場に出撃することになるでしょう。
殺し合いではなく、機械に排除されるとでも言った方が良さそうです。どのような銃火器を持っていようとも、機械にとっては人などゴキブリと大差ありません。
人が人らしく地球で仲良く暮らしていける時間は、実はもうあまりないのかもしれません。
深海には進化に逆行してそのままの形で生き残っている生物が多く見られます。
外敵や環境変化の脅威から取り残された限られた楽園のような場所だったからこそ、生き残れたのかもしれません。けれどもそれも永遠に続くかと言えばそうではありません。
このまま海水温度の上昇が続けば、きっと深海にも少なからず影響があるでしょう。
自分達だけが変わらないを続けたとしても周りは常に変化しているのですから、変わらないことを選択した生き物は最後には同じ結末「絶滅」を辿ってしまうのだと思います。
温暖化の根源にあるものは、必要以上の欲求であり、過剰な生産が続いてきたということでしょう。そしてそれは無自覚で無思考な自分達しか愛さないゴミのような人間を多く産み出してしまいました。
人だけが特別な存在なのではない、地球に生きる多くの生き物の中の1種類にしか過ぎないということからあまりにも遠ざかり過ぎてはいないでしょうか。人だけが繁栄できればよい世界を作って何が楽しいのでしょうか。今こそ奢りを捨てて足りていることを知り、節度の物差しを当ててみなければなりません。ただ便利になっていくだけのシステムで、本当に不自由なことがきちんと穴埋めされて自由をもたらしているのでしょうか、自由に便利を塗り重ねただけで、不自由を強いられている人達は置き去りになってはいないのでしょうか。
伝統も宗教もしきたりも習わしも、変われなければ絶滅します。
46億年の歴史の中で数千年程度しか存在していないものなんて、地球にとってはゴミも同然です。
残るべきものが問いただされていることに気付き、痛みを伴っても変われる勇気や、苦難が想定されても変われる決意が求められています。
和歌や短歌にとっても同じことです。
永遠に独りよがりから外に出られずに叩きつぶされてしまうのか、拙い翼を進化させて新たな空へ飛び立てるのか、時間は容赦なく判断を突きつけてくるでしょう。
言葉と真摯に向き合い、言葉を愛し言葉に愛された歌や歌人に光をあてなければなりません。それが唯一の未来へ繋がるレールになるものだと信じて、より多くの歌と出会わなければならないのでしょう。美しい歌は極上の絹の織物のように、きっとひっそりと紡がれて月にだけ愛でられているようなものだと思います。
そのような歌に囲まれて暮らすことを夢見て、まだまだ宝探しの道程は続きます。
・ 殻を脱ぎ弱さを晒すヒリヒリと刺さる痛みを懐かしみつつ
自分という殻から脱皮ができることを、知らずに死んでしまう人もいる。
年老いても青春の痛みを感じられるのなら、傷つくことを恐れずに脱皮し続けたい。
抜け殻がいったい何を守っていたのかを自分に知らしめるために。
2021年9月2日
短歌 ミルク