壊れてしまった物や傷ついた物、無くしてしまった物の補償に保険が使われていますが、生物も少々の傷や怪我なら、自分達自身で修復して現状回復に近い状態に戻すことができます。掛け金を払う代わりに食物や運動をその糧として、生命そのものが失われてしまうことを防いでいるのだと思います。
体にそんな機能があるにもかかわらず、心はどうでしょうか?
自己修復なんてとても無理で、すぐに自分以外に原因や憤懣を探して逃げ回ってはいないでしょうか。眠れない、喉を通らない、学校や会社に行きたくないなど、到底現状回復には結びつかない行動をして、何時間も何日も何年も悩む人がいます。
もし心の保険があったとすれば、日々徳を積み立てて掛け金を払っていたでしょうか?
何も積み立てていなかった人に保険は下りないし、補償で心が回復することもありません。
小さな傷を負うたびに、脆く軟らかくなった皮膚感覚で物事をとらえ、自身と向き合って一つずつ乗り越えてこそ、再び傷つくことへの備えとなるのだと思います。
外部からの助言や支援で、痛みは和らぐかもしれません。しかし実際の傷を修復するのはあくまで自分自身です。
自らの自己修復の力を最大限に発揮するしか、根本的に傷を塞ぐ方法はありません。
薬もなく、麻酔もなく、治療法もない心の傷が治るのならば、これは現状回復ではなくあきらかな成長であり進化です。
心は何も言葉を発しないけれど、常に自己修復をしようと試みています。
完全ではないのだからそれは当たり前のことかもしれないけれど、こんなにすばらしい能力を、傷つけた人も傷つけられた人も互いに持っていることを、小さな傷痕は教えてくれています。
擦り傷は負った端から閉じてゆき心は柔き感覚を得る
薄い皮膚でしか感じられないものがある。弱さを知ったとき心はまた一つ耐性を得る。
2019年10月15日
短歌 ミルク