強力な空気清浄機を置けば綺麗な空気が吸えると考えている大都会の人々は少しズレているのかもしれません。綺麗な空気=良い空気ではありません。
豊かな自然に巧みにブレンドされた空気こそが、生き物にとって必要なものを必要なだけ運んでくれるのでしょう。産み出すものや濾過するもの、そしてそれを運ぶものすべてがバランスを保ちながら循環してはじめて健康的な生活環境をもたらしてくれるに違いありません。
事故を起こした自動車がやたらと炎上する原因がリチウムイオン電池だとしたら、電気自動車やハイブリッド車は、結構なリスクを抱えているものだと思います。プロパンガスのタクシーでも炎上したという話は聞かなかったのにどうしたというのでしょうか。
環境に優しいという命題の影で、電気を産み出すにはまだまだ火力発電が必要だという現実をうやむやにしてはいないでしょうか。大型のダンプカーやトラック、建設重機を動かすには、堅牢なディーゼルエンジンが欠かせないことも無視することはできません。
コンクリートで固められたハリボテの都会に住む人達は、スタイルとしてのスマートさだけを追求し、犠牲になったものの意味を知ろうとはしないものです。自然豊かな地方に住む人ならば誰しもが、都会の空気や水はおいしいものではないことを即座に見抜くでしょう。旬の食材をどれだけ集め、腕利きの料理人が調理したとしても産地で口にする土地の物に及ばないのは、同時に口にする空気や水の影響であると言っても過言ではないでしょう。
それでも「木綿のハンカチーフ」のように、一度田舎を出てしまった同級生が戻ってくることはありません。「住めば都」と言いますが、私は「澄んでこそ都」のような気がします。水も空気も心も、澄みきってこその安寧が得られるのではないのかと、歳を重ねるごとにそう思えます。微細だけれど大切な何かを蔑ろにしたままで文明人を気取ってはいるものの、中身がスカスカの野菜のようにすべては吸い取られてしまっているようです。
5Gだ、自動運転だ、空飛ぶタクシーだと言われても、鳥も飛ばない空になってしまうような未来には住みたくないと考えさせられる朝に、まだ甲高い声で鶏は元気に啼いています。
・ 肉体は田舎を目指す 偏った都市が濾過するものはミネラル
いい加減に一極集中を止めなければ、今以上に人は荒んでしまうだろう。利便は利便を食い散らかすだけ。
2020年11月27日
短歌 ミルク