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短歌のリズムで

言の葉が群れをなすかな鰯雲 暮れゆく空で歌になるらむ

委ねることの浅はかさ

少し短歌を作ることに手慣れてきた人達の歌を見ると、創作がどんどん横暴になってゆく様子が見て取れます。自分の実生活の中ではおしゃれな出来事など滅多に起きないであろうことは容易に想像できますが、歌の中にキラキラとした世界やおどろおどろしい世界を作り出すために、未体験や未経験の事柄をやたらと詠いたがる傾向にあると思っています。

解釈の中心を持っていない作歌だから、読者の気まぐれに委ねればよいということが無責任であることは以前にお話させていただきましたが、同時にありもしない出来事がさも自分に起こったかのように落差だけを用いて作歌することの浅はかさは、読者の真面目な想像力を冒涜する、現代のインスタント短歌世代の特徴でもあります。

・泥棒したこともないのに盗んだとか
・喧嘩したこともないのに殴っただとか
・安全運転しかしないのにぶっ飛ばしたとか
・ちょっと朦朧としたら死にかけたとか
・小競り合いでも修羅場とか

それらを、きっと○○○だろうと詠うのならばまだしも、あたかも自分が経験したことのように歌ってしまうことは、創造というものに遠く及ばない愚かしいことだと思っています。匿名だから、創作だからということで許されても、歌には明らかな嘘として明白に刻まれています。上澄みだけの表現にリアリティ(現実の重み)など微塵もありません。

気持ちが背伸びして見えた世界と、実際に脚立にのって見えた世界は全く違うものです。
しかも賢い読者には、背伸びした様子が手に取るように見えています。
気付いていないのは世間知らずの作者だけで、読者は種明かしのされたつまらないマジックを見せられているようなものです。そこに感動も共感も同意もありません。
創造を真っ向から否定している訳ではありません。創造しても見破られるなと言いたいのです。古典のように背伸びしか詠われなくなってしまったら、本当に中身のないスカスカの歌ばかりになってしまいます。あまりにも二次元的な、スナップ写真のような歌が多すぎて、時間をかけて心のひだでゆっくりと味わうような歌が見られないことはとても残念なことです。
本当にカレーライスが好きな人なら、仮に高級レストランでレトルトカレーが出されたとしても簡単に見破ることができるでしょう。銘柄までも当ててしまうかもしれません。
文章が好きな人、言葉が好きな人、読書が好きな人、短歌が好きな人、俳句が好きな人、好きだという意志で磨かれた能力を見括ってはいけません。

表面上の体裁だけを繕う言葉遊びに終始せず、素通りされない歌作りを心がけねばなりません。自分の言葉を自分の心が素通りしてしまうことほど、哀しく情けないことはないのです。素直に、正直に、また戻ってこられるための目印を置くように、等身大の心で作る歌だからこそ、自らの存在と共に時間の中に残り続けるのだと思います。

心に引っかかる歌は意外なほど淡泊で自然体です。
ハバネロのような辛さも、ウォッカのような灼熱もありません。まるで木綿豆腐のように日々食卓に上るように質素で目立ちません。だからこそ故郷のように刻まれているのでしょう。渇いた心が求めるものは常に純粋で雑味のないものなのです。歌が目指すべき頂はそんな心の源流であると思っています。


白い紙には水で書き黒い紙には墨で書く 読み解くために

嘘がいくらか後ろめたいのは、既に心が見破っているからだ。心は容易に騙せはしない。

2020年8月12日
短歌 ミルク
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コメント

プロフィール

HN:
ミルク
性別:
非公開
趣味:
頭の体操
自己紹介:
気づく人だけが手に入れられる
輝きを求めて、日々の宝探しを
楽しむように短歌のリズムで進む
足あとのようなものです。

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