昔はさほど違和感はなかったのかも知れませんが、ただの多数派を意味する言葉としては、この言葉こそ不完全そのもののような気がします。肉体的や精神的なことはもちろん、心も病に倒れ壊れてしまうことを知った今、ハンディキャップを抱える人に対する配慮ができないのも、心の障がいなのではないかと考えます。そう考えれば、逆に健常な人の方が圧倒的に少ないのに、健常者は障がい者を許容しているとでも言いたげな上から目線の言葉に思えてなりません。
見えている聞こえているが前提の自分に欠けていないか配慮
進化の途上に健常も障がいもないはずで、何を持って完全な健常と言えるのでしょうか。
2019年7月2日
短歌 ミルク