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短歌のリズムで

言の葉が群れをなすかな鰯雲 暮れゆく空で歌になるらむ

作歌ドリル 8 (削いでゆくこと)

間が空いてしまいましたが、久しぶりに作歌ドリルでもやってみようと思います。
ただ今回は表現や言葉の選び方などを追求する手段の一つとして、削ぎ落とす作業を中心に考えてみたいと思います。
短歌を作る際に「伝わる」「伝わらない」の間で悩むことは日常茶飯事であると思います。
物事への距離があまりに自分に近ければ近いなりに、事細かな事情を説明しなければなりませんし、遠ざければ遠ざけたで、言いたい事が希薄になってしまうような気がして、なかなかそのバランスを取ることは難しいことだと言えるでしょう。
三十一音あるとはいえ限られた音数を使って細かな説明に終始するのか、はたまた解釈の深さや切れ味を増すスパイスにするのか、それは大きな違いとなって現れるでしょう。

※少しデフォルメして大げさにした歌を例に上げますが、荒削りの題材としてご覧いただければと思います。

たとえば幼子が子どもの日に大きな柏餅をぎゅっと掴んだという情景を詠んだとします。


「小さき手に 大きな柏葉 子の掴む 餅の中潜む 餡は期待か」

わざと字余りや繋がりの悪い言葉を選択していますが、スタートとしては丁度いいかもしれません。
想定としては、可愛い子供の成長に期待しながら見守る親の目線を、柏餅に手を伸ばす子どもを題材に詠んだという感じにしました。

それでは早速、削いでゆく作業を始めたいと思います。

◆削いでゆく 1
(小さき手)と(大きな柏葉)

(小さき手)には幼子が、(大きな柏葉)には包み込む親がイメージされているのでしょう。この場合は親の立場から詠んでいる歌でしょうから、(大きな)と言わなくてもいいように思います。柏葉は常に餅の外側にあり逆転することはありません。更に子を表す(小さき手)についても後に(子の掴む)と出てきますから、重複するイメージが浮かんできます。(掴む)があれば(手)は不要ですし(小さき)があれば(子)ですら不要です。
どちらかは割愛してしまっても大丈夫なようです。

◆削いでゆく 2
(柏葉)と(餅)と(餡)

柏餅につきものの柏葉、餅、そして餡。柏葉は親(作者)、餅は子供、餡は期待や希望という感じでしょうか。餅と餡では柏餅だとはわかりませんが、柏葉と餅あるいは柏葉と餡では対象が柏餅だとわかります。基本的に柏葉と餅の関係は逆転することはありませんし、親子の関係性はポピュラーで至って普通ですから、心情の香りをまぶすには(柏葉)と(餡)の関係性まで少し飛躍した方がいいかもしれません。「外側からは簡単に伺い知れないもの」の象徴としての(餡)という捉えかたで考えてみます。

◆削いでゆく 3
(餅の中)と(潜む餡)

柏餅とわかったら、もう餅の中と言う必要はありません。餡は必ず餅の中にあります。先の「外側からは簡単に伺い知れないもの」のことを(潜む)と詠みたい気持ちはわかりますが、ここでは(餡)が持つ意味が問われており、歌を左右するとても重要なファクターとなっています。「ただ中に餡がある」ことから先に進んで、(餡は一体何なのか)まで、きちんと思考を発展させなければなりません。考え得る事柄に幅があったとしても、破綻をきたさない理由付けが必要だと思います。この部分がこの歌のキモになる所だからこそ、きちんと考えなければなりません。

◆整える
(子)と(期待)

今回はその都度作り直したり書き直したりということを省いて、完成に向けた考え方を中心に書いてみようと思います。先の3つの項目を踏まえて整える作業です。

幼子に向けた歌でも良いのですが、親と子供の不可逆の関係性は、余程の事がない限り揺るぎようがありません。親はいつまでも柏葉ですし、餅の中の餡は噛んでみるまでは味がわかりません。関係性は変わりませんし材料も変わりません。しかし実は一つだけ変えられるものがあります。
それは餡の味付け、「塩梅」です。字が指し示すように、甘い物であるにも関わらず「塩」をふることの意味は、まさに子育てに通じる親の心情そのものを表しているのではないでしょうか。そして柏葉を離れて社会に出たとしても、ただ甘いだけでは解けないパズルがあることを知り、柏葉に思いを馳せて自らも親になってゆくのだと思います。甘さの裏側に少しだけ塩っぱさがあることを含ませて、もう少し広い世界に通じる歌として組み立て作り直す方がいいと思います。

いつもながら結局は小さな気付きが作歌の方向性をガラリと変えてしまいます。けれどもこの「餡に塩を少しだけ入れる」という気付きがなければ、至ってありきたりの歌になってしまうでしょう。思考を止めず諦めず、考え続けなければならないことから逃げてはいけないのです。



「柏葉をいつか離れて君は知る塩っぱさ含む餡の甘さを」

読みが足りない人は多分この歌を「柏餅の餅」の立場で詠んだ歌だと言うかもしれません。(笑)
とても大きな余白を孕んだ歌ですから、その境界はシビアに見えるかもしれませんが、その深さ、広さの中に親子の姿を見い出せてこその短歌だと思います。

通りすがりの「私世代短歌」や自分だけにしか解らない「私世界短歌」では、このような醍醐味は皆無です。理屈っぽいと言われても、解りにくいと言われても、指し示す悟りや気付きがなければ、噛みしめることなど出来ません。

歌が一首でもきちんと自立し刻まれる強さを持つことが、短歌が生き残る唯一の道であると思っています。

2021年5月12日
短歌 ミルク
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コメント

プロフィール

HN:
ミルク
性別:
非公開
趣味:
頭の体操
自己紹介:
気づく人だけが手に入れられる
輝きを求めて、日々の宝探しを
楽しむように短歌のリズムで進む
足あとのようなものです。

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