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短歌のリズムで

言の葉が群れをなすかな鰯雲 暮れゆく空で歌になるらむ

ダイナマイトの重さ

皆さんは本物のダイナマイトを手に持ったことがありますか?

と尋ねても、発破工事の現場作業員くらいしか持ったことはおろか見たことも無いのが普通だと思います。
私は幼い頃に実物を何度か持ったことがあります。(もちろん持つだけです。)
奥深い山中の父の出稼ぎの現場には小さなプレハブの飯場がありました。ちょっとした流し台があってガラス戸のついた木製の水屋(食器入れ)が一つだけの、ほんとうに食事と休憩の為だけのボロボロの小屋でした。
なんとその水屋の中に何本か茶色い細長い物体が無雑作に入れてあったのです。
ちょっと太めの魚肉ソーセージやラップの芯やリレーのバトンに形は似ているものの、
たった一本でもこの小屋はおろか、数十メートル四方が吹き飛ぶような破壊力が込められていると思うと、大いに身震いしたことを憶えています。しかも七本もありました。

ふつう手のひらが感じているのはこの物質の質量分の重さだけですが、この時ばかりは何か特別な重みを感じたことをまだ憶えています。この何グラムとは言えない重みはいったい何なのでしょうか?

短歌を作るとき、いつも頭の片隅にこのときの事を思い出します。
何グラムとは言えない重みこそがリアリティの真偽をあぶり出すのではないかと感じたからです。
ただ絵に描いた餅のように想い描いただけでは絶対に伝わらない感覚のような気がします。
空想や落差志向の嘘物語りもほどほどにしなければと思うのは、この重量感が欠落してしまっては元も子もないからだという理由なのです。読んでいて今ひとつだなと感じる歌の殆どが、この当然のリアリティ不足によるものです。軽い。どうしようもなく軽いのです。
嘘だとか本当だとかという以前に、あまりに経験と洞察が足りていないからなのでしょう。

言葉を使った作品では、「軽い」「重い」の感覚を磨くことはたいへん重要なことだと感じています。
作ってみて、読んでみて、1グラムでも重いと感じる方へ歌を導いてゆくことこそが、
自分なりの上達方法の一つであると思っています。

出稼ぎの発破は続く水屋にはダイナマイトが七本あった

夢の中でなら何度死んでもいいだろう。死ぬ間際の万感を憶えていられるのなら。

2021年6月15日
短歌 ミルク
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プロフィール

HN:
ミルク
性別:
非公開
趣味:
頭の体操
自己紹介:
気づく人だけが手に入れられる
輝きを求めて、日々の宝探しを
楽しむように短歌のリズムで進む
足あとのようなものです。

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