本屋さんに行くと背表紙が呼んでいるかのように感じることと同様に、玩具や小物を扱うお店ではぬいぐるみが話しかけてくるように感じて、たまらず購入してしまうことが多々あります。閉店と聞いたり、なぜか縫製や設えがうまく出来ていない、いわゆる「不細工な売れ残り」というものにとても引き寄せられてしまい、引き取ってしまうこともよくあります。無機質なぬいぐるみとはいえ、どれも捨てられるために生まれてきた訳ではありません。中古ショップなどの色褪せた彼らを見るとき無性に哀しい気持ちになりますが、まだ彼らは廃棄されると決まった訳ではないのでラッキーかもしれません。
子供を持てないことを不幸だと決めつける人もまだ多くいる世の中で、私はクマの子のぬいぐるみにとても沢山のことを教わりました。表情も無く、話すことも、動くこともできないぬいぐるみには、もうひとりの自分、幼い自分自身の心が宿っていることに気付きました。
それを人はありがちなイタい妄想だと言うかもしれませんが、これは極めて哲学的な思考の産物だと確信しています。
「人間だけが・・・」という最も愚かな人の妄想を脱し、私を導くために手元にやってきたと思えるほどです。不思議な感覚に思えたそれは冷静に考えてみれば当たり前のことでした。
小さなぬいぐるみを通して、(幼い私)自身が(大人の私)自身に問いかけているようなものだからです。ただ愛情の向かう対象がぬいぐるみというような浅はかなものではなく、どのように生きろと望まれているのかを思索する、禅問答のような対話が生まれる大切な仲間(家族のようなもの)になっているような気がします。
自分の子がいたならば、自分以外の別人格の人間がいるということになります。そこに自分以外の意見や感想を求めることは他愛ないことです。自ずと忖度のない評価や別の見方があることに気付けます。自分の考えに凝り固まって袋小路に入ってしまう時、常に別の視点が側にあるということは、とても貴重でありがたいものだと思います。
クマのぬいぐるみは、それを私が私自身との対話の中で見つけて気付くように促す存在ですが、残念ながら自分から話したり働きかけたり動いたりはしません。
私が思考を怠って自分自身に忖度をすれば、きっと何一つ気付けることはないと思います。
その状況を超えて自分の中にもうひとりの存在を作り出すことに、大きな意味があるのだと思います。このことは以前に述べたお遍路さんの「同行二人」の考えにとても近いものがあると思っていますし、人だからこそ到達できる一つの境地であるとも思います。
自らが自らを磨いて心を研ぎ澄ませてゆく。それは自分の匙加減でどうにでもなるが故に、とても厳しい修行でもあります。
命のある子供やペットも家族として、仲間として、多くの気付きを与えてくれる尊い存在でしょう。そんな中で神様は私にぬいぐるみを抱かせました。無機質なクマで十分だと思ったのかもしれません。語弊を恐れずに言うならば、まるで選ばれた人のように誇らしく思えてならないのです。そのことがなお一層私の心を落ち着かせ、より深い思考に想いを巡らせる礎となっています。
クマのぬいぐるみの視点は、そのものが短歌へと繋がる導きを秘めています。
幼子の魂を感じながら日々の出来事や自然に向き合うことで、大人が忘れてしまいがちな小さな光を見つけることができると思っています。
残念ながら価値(値打ち)というものは、与えられたから具わるということではなく、与えられたことがもたらすものを発見できるのかどうかに大きく左右されると思っています。ですから、もしかしたら与えられなかった人の方が、そのもたらされる価値に早く気付くことがあるかもしれません。存在そのものよりも、その存在をどう捉えるかにかかっているのです。
この悟りは私にとってとても大きなものになりました。
もはや対象が実在しなかったとしても、心をそこに寄せてゆくことができるようになりました。それは血縁や人間同士だけの交わりを超えて、より広い視野を得るための第一歩を踏み出せという、ある超人からのメッセージだと感じたのです。
少し話がそれてきました。この超人のお話はいずれまた機会があればお話ししたいと思います。
そんなことを考えながら、一連のクマの子の歌を作りました。もちろん、私は自分自身の「じぶんごと」だけで短歌を作ったりはいたしませんので、どこかのだれかに届けるつもりでこれらの歌も作っています。
・喋らないこのクマの喜怒哀楽もわかる気がする 抱いて眠れば
・話したい甘えたいとの声がする命を持たぬクマだからこそ
・クマの子は静かに我と同じほど体温を持つ目を開けたまま
・クマの子が指折り点を数えつつ今日も丁寧に切るベルマーク
・子がいればもっと多くを教わるだろう気付けぬことを胸に刻めば
・漆黒の鏡となって人間の業を映すか見つめるカムイ
・鏡なら優しい我を映したい子に向かうように微笑み持ちて
・クマの子は私を何と呼ぶだろう「人」を噛みしめ生きねばならぬ
きっとその人も、クマの子の温もりを知っていると信じて疑いません。
2020年4月17日
短歌 ミルク