投稿サイト「うたよみん」は、何度かの改変を経て欲にまみれた参加者を洗い流しています。本当に短歌が好きな真摯な参加者が残っている一方で、やはりSNSに流される残念な人達も多く見られます。「よいね」がついていないと嘆く人の多くは、多作を垂れ流す自分には気が付いていないのかもしれません。
古参であろう多くの参加者のお名前を、今は歌会サイト「うたの日」の中に見ることができます。
まるで滅亡する地上から避難するかのように、「うたの日」という箱船にのったのかもしれません。プロの人や結社に属しておられる玄人の人などが多く参加し、テレビや短歌雑誌などでも多くの参加者の名前が散見されるほど、有名なサイトだと思います。
先にも書きましたが、綺麗事を標榜しながらでも人は心の奥では「褒めて欲しい」を温めています。比べられないと言いながら順位や数に引き寄せられてしまうのです。
「ちやほやされたい」とは思っていなくても、「薔薇が欲しい」と思っていない人は一人もいないでしょう。
箱船は至って安全で、そこそこ快適な場所になっています。
短歌を続けていくことのハードルもあまり高くはなく、題詠への対応技術も磨かれるでしょう。
「パターンを繰り返しているだけ」とか、「山手線の景色と同じ」という意見を聞くこともありますが、箱船の中で行なわれている以上、それはあたりまえのことだと思います。
水先案内人や船頭がいないのですから、船が何処かを目指すとか、何処かへ辿り着くということはないと思います。誰でも何処からでも乗れるようにいつも漂っていなければならないからです。
是非このまま、短歌の明るい未来へと多くの参加者を連れて行って欲しいものですが、それも参加者に委ねられていますからなんとも言えません。
箱船の行き着く先が繁栄の世界なのか、滅亡の世界なのか、それは短歌との向き合い方で変わってくるのだと思います。
ただ一つ、乗ってしまえば降りることは少し難しくなるかもしれません。
けれども降りなければ見えない景色があることも事実だと思います。
とても魅力的な箱船の世界ですが、私は地に足をつけて一歩ずつ歩きたいと思っています。
21年2月22日
短歌 ミルク