鬱陶しい小言と思われることも、堅苦しい詭弁と思われることも気にしてはおりませんが
関わっている限り、いつか短歌はとても鋭い切っ先を自分に向けて迫って来ます。
「おまえのそれは短歌なのか、短歌と呼べるのか、モドキではないのか」
中途半端な姿勢では、かわすことのできない一撃かもしれません。
短歌は家庭菜園の野菜でも、飼っている犬や猫でもありませんが、同じようにその成長や成り行きを見守ることのできる大切なものの一つだと思っています。
それは作った人の心そのものが現れるからで、それを投稿するということは心の中身を見て下さいと言っていることに等しいと思います。いい加減な気持ちや投げやりな気持ちで気軽に投稿した歌によって、心が腐ってゆく様子を見せているのと同じ事です。
私だったら恥ずかしくて耐えられません。
これは上手とか下手とか、そんな次元の話ではありません。
一生懸命素振り練習をしたのに、それでもフルスイングで三振してしまうこともあるでしょう。それでも必死に球を追いかけている姿勢に価値があるのではないでしょうか。
野球が好きなら、誰しも素振りくらいはするでしょう。
素振りもしない人が野球が好きだと言っても、何の説得力もありません。
そもそも好きでもないのに短歌を投稿する人などいないと思いますから、少しは素振りをして欲しいと思うのです。結果、上手に作れなかったとしても、どれだけ素振りをしたのかはきちんと歌に反映されているはずですし、それを見抜く仲間も沢山いると思います。
やりがいや評価などを求めていないと、言い訳をする人もいると思いますが、少なくともそんな人達は、本当に短歌を好きではない。他のことをやればいいと思います。
初心者ながらも、自分なりに一生懸命素振りをして挑もうとする作者には、とても好感を持ちますし、もう歌の出来よりもその姿勢に感銘を受けてしまうものです。そして、そんな人達からこそ、学ぶべきものが多くもたらされると感じています。
● 思い切り空振りをする 上達と無縁の喜びもまたここにある
充実や爽快に答えなどない。ましてや誰かが決めるものでもない。
2020年4月4日
短歌 ミルク