あれやこれやと文句ばかりを綴っている私ですが、それはなかなか素直に詠まれた歌に巡り逢わないことからくるストレスなのかもしれません。
自分がこねくりまわした歌しか詠めないこともあって、純粋な素直な直球の歌にはなんとも言えない爽快感を覚えます。
上手とか下手とか、技巧とか味わいとか、そんなことが湧き上がる前に心が推し上げた普通の感情が詠まれた歌は、まやかしや虚飾のない美しいものです。
ただしそれは言葉が丁寧に綴られたものに限られます。
いくら素直な心を詠んだとしても、乱暴な言葉や、字数合わせに過ぎない「い」抜きや「ら」ぬき言葉、ただ使い古されている言葉や流行だけのフレーズなど、折角の新鮮な心情を逆なでして打ち消してしまうような歌は見る(読む)に耐えません。
三十一文字に成形してゆく作業は、短歌作りの中でも最終工程に近い場所です。
これを勘違いして、まず五・七・五・七・七に歌を収めようとする間違った人が殆どです。
ですから豊かな言葉を探したり、組み合わせたり、創り出したりする時間が費やされないまま、放り出してしまいます。破調なんて何のその、心に近い言葉を選んでこそ歌が生きてくると思っています。口語や区切れも、最初は気にすることなんてないと思います。
昔の出来事や時代背景に気付かぬうちに忖度をしてしまい、私たちは無意識のうちに「古いもの、古くから残っているものは良いもの」という暗示に掛かっています。
今でも消えることのない差別や差別意識は、この無条件に過去を礼賛する姿勢が間違っていることの最たるものだと思いますが、古くてもダメなものや無駄なものは、気が付いたときに削ぎ落とすべきです。その上で時代を超えて本当に生き残れるものならば、奉ってもよいと思いますが、貴族の暇つぶしの余興にしか過ぎない歌や、自意識の変化(へんげ)のような張りぼての歌には容赦なく鉄槌を下すべきです。
本当に自然の生き物や、箸やお茶碗ほどに、その歌は不変の価値を留めているものなのか、
それとも雰囲気に囚われたまがい物なのか、いま歌を作っている人の目で確かめてみて欲しいと思います。
何か無駄に高尚な見方だけをされてしまって、あまりにも時代が激しく移り変わっていることに全く追従できていない古典と比べ、現代には現代にふさわしい短歌の居場所があります。合理的なしきたりならば守れるものもありますが、不合理で不便で理屈だけを押しつけるものに従う必要はありません。
日本語という類い希なる多種多様な言葉を扱える環境にあるのですから、どの国のどの言葉よりも選択の幅が広く、豊富でなければなりませんし、いつまでも旧かなのような雰囲気表現にしがみつくべきではありません。
今扱える言葉で精一杯の表現を追求するべきだと思います。その上で古語表現などの短縮形を使うこともあるでしょう。方法が先にありきではなく、成形の選択肢として方法はあるべきだと思います。
私は自分が歌の読み取りや解釈に迷ったとき、ワープロの文字に起こしてパソコンに朗読させています。人間のつまらない忖度や経験則が関与しない、イントネーションのおかしなロボットのような機械言葉で聞いています。そうすることで大抵のモヤモヤは砕け散ります。雰囲気に走らず言葉が丁寧に研がれた歌は、機械音声で聞いてもすばらしいものです。そしてそこに歌の本質が隠されていると信じています。ですから、歌に触れるときには、必ず視覚と聴覚を使って音に出して聞いてみることがとても大切です。このことは踏み絵のように歌の善し悪しを浮き彫りにしてくれるでしょう。
短歌を作る上で最大最強の障壁は「自意識」です。
よいねが欲しい、褒められたい、よい歌だと言われたい、長く続けているから、沢山歌を作ったからスゴイと言われたい、愚痴や悪口をつぶやきたい、ストレスを解消したい、実際の人には言えないことをぶつけたい、繋がりや彼氏彼女が欲しい、いい言葉や歌が落ちてこないか数を作って待ちたい、何かの拍子に賞などが取れないか試したい、自分の証として歌を残したい、などなど・・・。
このような心持ちではいくら続けて何万首歌を作ったとしても、本人にも周りにも何一つ残りません。時間の無駄です。短歌を辞めて動画配信するとか、ブログを書くとか、他の道を目指した方が費やした時間が報われると思います。
ある程度歌を作ったり読んだりしていれば、おのずと歌に込められた気持ちはわかってくるものです。何一つ正確なジャッジなどありません。自分だけが自分の歌を見直すことができます。余程の歌でなければ他人は作った歌など憶えておいてはくれません。カメラロールに「ただのお飾り写真」として鎮座しているだけです。
短歌に過度な期待は禁物です。
自分が押しつぶされない程度に、そして真面目に、素直に、正直に取り組むことが大切です。自分自身のために歌を紡いでいるという意識を持って。
● それでいいそう思ったらそれまででもう作っても腐敗するだけ
勝ち負けじゃないと言われたところで、腐敗はどう見ても負けたイメージ。
2020年5月4日
短歌 ミルク